念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

チャンス

 もっと早くに◯◯の分野のことを知っていたらなあ、と思うことがあります。教えてくれる人や機会があれば良かったのに、と。

 けれどよく考えてみると、そういうチャンスは少なからずあったのではないかと思います。良い情報を耳にしながらも、その時の自分には関心が起きなかった、或いは心に響かずにスルーしていたのではないかと。

 これが縁というものなのかと思います。

 私の浅はかな知恵では、そのからくりは全く分かりません。

 人生、難しいところです。

死ぬことの意味

 普通、生きること以上に、死ぬことの意味はなかなか見出しにくいと思います。どんな思考の力でもって見出したとしても、死ねばその力も失うものだからです。

 南無阿弥陀仏に救われた人が亡くなることを、浄土真宗では「死ぬ」とは言わずに「往生する」と言います。

 浄土往生、浄土に往って仏に生まれるのです。

 そういう身にただ今救われてこそ、生きることと同様に、死ぬことの意味が見出せるのではないかと思います。

できる事は限られている

 世界で起こっているコロナウイルス関連の問題は、仕事柄のこともあり、どう対処するのが良いかとあれこれ思い悩みます。

 実際に自分にできることは、あまりに小さく限られた事でしかありません。割り切って、すべきことを淡々とこなしていこうと行き着きます。

 ましてや、この世から長い長い後生にかけての問題は、ただ今救うという南無阿弥陀仏におまかせするしかありません。

気付いてよかった

 間違った浄土真宗の話は、聞けば聞く程に訳の分からない信心が出来上がっていました。今思えば、異安心にもならない代物だったと思います。

 こんなに聞いた、こんなに時間かけた、こんなにお金かけた…、案外あっさり捨てました。

 間違いと気付いたら、受け入れるだけでした。

世相

 先のことを考えて行動できる人ほど賢いと思います。

 けれども世界の明日どころか、自分の明日のことさえよく分からないのが本当のところです。諸行無常です。

 今はまだ死ねない、来年はこうするんだ、と固く思っていてもはからずも命を落としてしまうことがあるかもしれません。

 やはり、今救われている、ということが大事です。いつこの世の縁が尽きようとも浄土往生です。

 浄土真宗の救いは現在ただ今の救いです。今救われるに越したことはありません。