念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

親ガチャ

 生まれる処、時、によってその後の境遇は大きく変わります。

 また、親ガチャ、という言葉は、今の日本の若者の思いを見事に言い表しているかのようです。

 これらは、自分ではどうしようも出来ない、という点で共通しています。

 未来を決めるのは自分次第、とは言えど、いのちの不思議を尊ぶことは簡単ではないようです。

生きたその先

 今を生きる。今を生きろ!

 心を打つフレーズだと言われます。未来のことを案じ過ぎても何も始まらないし、過去にとらわれ過ぎても過去は変えようがないからです。 

 しかし、積み重ねた知識や経験があって今があるのであり、先を見据えて生きているのだとすれば、このフレーズは至極当前の言葉と思えてきます。

 問題は、生きたその先が人間の思考では全く分からないことなのだと思います。

 今を真剣に必死に生きている人ほど、生きたその先、を心のどこかで知りたがっているのではないでしょうか。

死んだら極楽は正しい?

 死んだら極楽、死んだら仏(①)

 「この世はどうにもならんもんや、死んだらお助けなんだ」と言う人のことを、独特の節回しで揶揄する布教使の話を聞いたことがあります(つくづくこの世はどうにもならんもんやなあ、と思いますが)。

 確かに、生きている今、本願に疑い無く救われることが大事です。

 しかし、救われたと言ってもこの世で仏に成れるのではありません。煩悩具足の凡夫であることに何ら変わりありません。

 死んで仏に生まれる(往生成仏する)のですから、救われている人にとっては、

 死んだら極楽、死んだら仏(②)

 これ以上に心強いことは無いでしょう。人間にとって最難関の死の問題を既にクリアしています。

 同じ言葉でもTPOによってニュアンスががらりと変わってしまいます。

※(②)の場合「死んだら」、よりも「この世の縁が尽きたなら」「力尽きたなら」、などの表現がしっくりきます。