念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

お礼

 頂きものに対してやお世話になった人へのお礼は、失礼の無いようにと気を使います。

 未だにではありますが、若い頃は常識にも疎く何度も痛いことをしてきました。

 他力の信心においては、念仏を称えることが、私の生死問題を解決して下さった御恩返しになるのです。

 とても明快で容易です。

あれこれ考える

 人生という名の旅は、いつかは終わりを迎えます。

 当然、何に時間を使うべきかと考えます。

 煩悩や執着は、暇がなく、臨終の瞬間まで消えない、絶えないと教えられます。つまりキリがないということです。

 それならば、この世の願いは、そこそこでいいんじゃないかと思えてきます。

 ミニマリスト、マインドフルネス、•••。

 いずれにせよ、信心こそ肝要です。

しかない!

期待しかない。

楽しみしかない。

 最近は、しかない、の前に否定的ではなくポジティブな名詞を置いた言い回しが増えたように感じます。「名詞」+「で」の場合も。いずれも、明るい未来に対する今の気持ちを表しています。

これしかない。

するしかない。

 元々は、物事を限定する意味で使われていたと思います。言葉のニュアンスも微妙に変化するもの。

南無阿弥陀仏しかない!

 正しい言い回しかどうかは別として、前者でも後者でも私的にはしっくりします。

思考を超えた世界

 サラサラと流れるように世の博識を展開する論客、ついつい引き込まれてしまいます。

 あくまでも私の主観ですが、そんな人ほど、他力の信心、あて頼りとするような領域には目が向きにくいように感じます。

 しかしそのような人でも、平等に、いのちをまるごと救い摂って下さる南無阿弥陀仏、仰ぐばかりです。

「摂取して捨てざれば阿弥陀となづけたてまつる」

真っ先に

 老いや病で、これまで出来ていたことが出来なくなった自分を受け入れて生きる。

 そうだよなあ、と共感する反面、どれだけ賢明な心持ちで生きようとも、遅かれ早かれ死んでいくという壁にぶち当たります。どうしましょう?

 「まず信心を決定して」

 それからです。