ブログに対する想い
スタッフが去ることになりました。 しかしこれは、あくまでも仕事という視点からであって、かたちは離れますが、違うかたちでどこかで繋がっているし繋がっていくのだろうと思います。袖触れ合うも、、、でしょうか。喜んでいいのかな(^_^;)。 つまらない私…
親鸞聖人は信楽を「疑蓋間雑あることなし。ゆゑに信楽と名づく」(『註釈版聖典』二三五頁)と仰る。疑いという蓋を間に雑えないことを信楽という。つまり容器に水を入れようとしても、蓋をしていたら中に入らない。そこで疑いという蓋を雑えないことによっ…
その信楽とは何かというと、「疑いのない状態」を顕す。「〈信心〉は如来のちかひをききて疑ふこころのなきなり」(『註釈版聖典』六七八頁)と『一念多念文意』に仰っているのです。「信楽」(信心)とは、如来の真実なる御誓いを聞いて疑う心のないこと、…
チャットGPT(チャッピーだそう^^;)をようやくちょっとかじってみました。何とも見事なものです。回答が100パーセント正しい訳ではないという前提に立つのが大事ですが、今のところほぼ満足しています。 情報源の枯渇による成長の限界説もあるようですが…
私の勤務先店舗の待ち合いルームにはテレビが設置されていません。有線放送で小さいボリュームで音楽をかけています。 しばらく様子を見てから設置の有無を判断しようということで、テレビ無しで店舗オープンしたのでした。それが今も続いています。 今日、…
今日一日を振り返り、明日の予定をたてますが、そう考えているのは今、昨日も今日も明日も今の連続と言えるでしょう。 いつ救われたとかどう救われたとかは二の次、今救われているかどうかが肝要です。 今救われていますか?自問自答です。 蓮如上人の御文章…
わずかばかりの縁ではあっても、その方が亡くなったことを知ると、生前の最後となった会話が思い出されます。仕事柄、そういうことが年に何度かあります。 この世でできることは僅かでありましたが、仏様に成らせて頂いた後に、その方のためにできることがあ…
このブログの構成について。 3部構成です。というか書き始めは特に考えてなかったのですが、気が付いたらそのようになってました。 ☆2019年☆ 1部 9月9日:ブログを始めたきっかけ 2部 9月11日~9月25日:浄土真宗の要 3部 9月26日~:つ…
阿弥陀仏の願いは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生まれて死んでを際限なく繰り返して(輪廻して)いる全ての人を、出て離れさせ、浄土というさとりの世界に生まれて仏に成らせるというものです。 本当にそんな者が私で、本当に浄土往生や成…
信心をいただいた時に、浄土に往生し成仏することが定まります。このことを、現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)と言います。この世(現生)で、正しく仏に成ることが定まったなかま(聚)という意味です。「往生」とは往き生まれる、ということ、「…
仏のさとりを求める方を菩薩といいます。 正信偈の始めには、 法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 とあります。法蔵菩薩とはどういう菩薩でしょうか。 --- 法蔵説話 『仏説無量寿経』には、次のように説かれています。 昔、あるところに一人の国王がいました。国…
第十八願文 設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法 (『仏説無量寿経』『原典版聖典』二二頁) 【書き下し分】 たとひわれ仏(ぶつ)を得たらんに、十方(じっぽう)の衆生、至心信楽(ししんしんぎょう)して…
阿弥陀仏は色も形もありませんが、人格的に現れてくださることで、はじめて私の認識にのり、救われるということがあります。 その阿弥陀仏の願い(本願)とは、どういうはたらきなのかをよく知らせてもらう(聞かせてもらう)ことが大事なのでした。
我が事として受け止めよう、ですね。私が救われるかどうか、救われますよというお話です。 私が救われる教えであるから、その通りに救われるということが私の身の上にあるのだと。しかも今この時に。 えっ?となりました。 これが本当の聞き始めだったかと思…
結論から言います。 【浄土真宗の救いとは、現在ただ今、阿弥陀仏の本願に救われて、そんな人は、寿命が尽きると同時に、極楽浄土に往生し成仏する(仏の悟りを開く)】 これに尽きます。更に続きがあるのですがここでは省略します。 生きている今と死後、2…
あらためてブログを始めようかなと思った理由 は、①信心決定、つまり浄土真宗の救い(仏教、とりわけ浄土仏教における根本的な救い)に思いがけずもめぐり遇った喜びを遺しておきたい。 ②どうしてそのようになったのか、要点だけですがお聖教のお言葉と私な…