結論から言います。
【浄土真宗の救いとは、現在ただ今、阿弥陀仏の本願に救われて、そんな人は、寿命が尽きると同時に、極楽浄土に往生し成仏する(仏の悟りを開く)】
これに尽きます。更に続きがあるのですがここでは省略します。
生きている今と死後、2度の救いはあると浄土真宗、これを「二益法門」と言います。
けれども誰でも死んだら仏様になれるのではありません。よく亡くなった人のことを「往生した」「仏様び成った」などとと言いますが、今救われている人だけが浄土往生できるというのが親鸞の教えです。極めて厳しく峻別されている側面があることを知らねばななりません。
浄土仏教、聖道仏教、あらゆる仏教の宗派も仏教であるからには、アプローチこそ違えど、仏の悟りを開くことが究極的な目的です。
私の身の上の事から敢えて逆説的に言えば、私がそのように救われてしまっているという紛れもない事実があります。しまっている、という表現は変に聞こえるかもしれませんが、浄土真宗の救い、他力の信心とも言いますが、その内容は世の中の何ものにも例えにくく、伝えにくい内容だと思っています。その境地を不可称、不可思議、不可説の信楽と言われます。
そんな話し、信じられますか?。誰一人いないかもしれません。
いずれにせよ私の認識、思考、想像を遥かに超えた救いが今ここ、私に届いておりずーっと相続しています。
くどいようですが。浄土真宗では生きている時に救われるということがあるのです。
親鸞聖人は、29歳の時に阿弥陀仏の本願力に救われた時のことを、
「雑行をすてて本願に帰す」
と教行信証に述べられています。