念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

とん、2019年を思いのままに振り返る

 今年も残すところ2日となりました。

 南無阿弥陀仏のはたらきに疑いなく、今生きているということ自体ありがたいことです。

 今年もいろいろなことがありましたがざっくり振り返ってみると、9月からブログを始めたことがよかったです。お盆の時に、何となく書いてみようかと思ったのです。あらためて浄土真宗の要点を自分なりに残しておきたいと思ったのでした。

 その意味ではもう十分に満足しています。

 ただ今救うという南無阿弥陀仏のはたらきを疑いなく受けいれたならば、必ず浄土に生まれ仏のさとりを開く身となります。

 それだけにとどまらず、仏に成って(成仏して)、今度は人々を救うはたらきをすることです(還相回向といいます)。これも南無阿弥陀仏のはたらきによってできることです。

 人生100年時代と言われますが、過ぎ去った過去はあっという間ですでに終わったこと。この今から、確実な後生もあっという間でしょう。死んでから先が本当に長いのです。仏さまの目から見れば、悠久の大河の流れの水面にポッと泡ができて消えていくような間が人生である、と聞いたこともあります。

 後生、仏に生まれられるかどうか、これが平生(生きている今)に決するのが浄土真宗の教えです。平生業成と言います。

 お釈迦様はたくさんのことを教えられました。禅の教えであったり密教であったり、さらにもっとくだけたかたちで私たちの生活の中に、いろいろなかたちで今も残されています。その中でも阿弥陀仏の本願を説くことがお釈迦様の真の目的であった、とするのが浄土真宗です。

 そしてその本願の通りに現在ただ今救われている、この南無阿弥陀仏のはたらきに疑いないのが信心です。信心の土台が南無阿弥陀仏なので、本当のところは何の理屈も要りません。

 その理屈を私なりに書いたつもりです。

 私はほとんどお寺参りをしたことはありませんが、現在の浄土真宗で1つ思うところは、単刀直入に、「あなたは信心いただいていますか」、と一人一人にもう少し踏み込んでよいのではないかということです。後生は一人一人のしのぎ、一人一人が責任を持って答えを出すべき問題だからです。そこは遠慮なしにいきたいものです。

 特に私とご縁のある身近な方から。救われましょう。

 そして少しでも南無阿弥陀仏の御教えが広まり、平和な世の中であってほしいと願います。

 文脈がばたばたしてしまいましたが、思いのままに。今年最後のエントリーとします。