年をとるほど月日がたつのを早く感じる、というのはこれまでを振り返るとその通りと感じます。気が付けば臨終、と言うのは大袈裟でしょうか。
間違いないことは、時間は誰にでも平等に与えられていて、1日生きたということは確実に1日後生に近づいたということです。淡々とした日常であっても、忙しさに追われた日常であってもそれは変わりません。
時は平等であると同時に冷徹であるのかもしれません。
そんな中にあって念仏者とならせて頂けたことは不思議なことです。
ただ南無阿弥陀仏を疑いなく聞きいれて、後生に近づくままが浄土に近づく、感謝の日々を送りたいものです。