死んだら極楽、死んだら仏(①)
「この世はどうにもならんもんや、死んだらお助けなんだ」と言う人のことを、独特の節回しで揶揄する布教使の話を聞いたことがあります(つくづくこの世はどうにもならんもんやなあ、と思いますが)。
確かに、生きている今、本願に疑い無く救われることが大事です。
しかし、救われたと言ってもこの世で仏に成れるのではありません。煩悩具足の凡夫であることに何ら変わりありません。
死んで仏に生まれる(往生成仏する)のですから、救われている人にとっては、
死んだら極楽、死んだら仏(②)
これ以上に心強いことは無いでしょう。人間にとって最難関の死の問題を既にクリアしています。
同じ言葉でもTPOによってニュアンスががらりと変わってしまいます。
※(②)の場合「死んだら」、よりも「この世の縁が尽きたなら」「力尽きたなら」、などの表現がしっくりきます。