「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)
いかなる振る舞いですから、縁さえあれば何でもやってしまう可能性があると言うことです。こういうことだけはやらないと言う事は絶対にないと言うことです。
人種差別、民族差別、文化差別、言語差別、地域差別、ヘイトスピーチ、性差別、能力差別、階級差別、職業差別、学歴差別…、大きなものでもこんなに。
個人レベルでは、あらゆる現場でいじめやハラスメントなど、差別だけが原因ではない複雑で一筋縄にはいかない問題がひしめいています。
ではその源はと言えば、個々の差別心、正確には分別智に帰結するのではないでしょうか。人間そのものの性分が創り上げた世界を生きている。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなる差別もすべし」
そういう差別心の塊のような者をそのまま救って下さるのが阿弥陀物の本願です。
冒頭にあげた歎異抄のお言葉の後に、
「親鸞聖人に差別心はありません」
1番驚き呆れているのは親鸞聖人に違いありません。
念仏の救いを勧められたのが親鸞聖人です。
世界から差別を無くすのは私達の責務です。
これについては最初で最後にします。