以前に、1度だけ真面目に書きます、と宿善について書いたと思います。
(「宿善について」2019年10月15日)
宿善を論じる前に思うことは、まず救われましょう。それからであれば、どれだけ時間をかけても良いと思います。
ただし、今日やった善が明日の宿善になる、という捉え方では今晩の後生に間に合いません。誤りです。今救われる平生業成にも合いません。捉え方そのものを捨てないと宿善は合点出来ません。
平生業成と明日の宿善論。綺麗に矛盾しています。ここに気付けるかどうか、宿善があるか無いかの分かれ目なのかも知れません。