文字通りこの世には「命をかけて」何かに取り組む人が相当数いると思います。実際に命を落とすこともあります。内容にもよりますが、命懸けの姿勢や態度に触れた時はずしりと胸に迫るものがあります。
私が聞いていた布教使も説法や講義で何度か、「私は命をかけて法を説いている」と語るのを聞いたことがあります。しかし、肝心のその話す内容がほとんどデタラメであることが、ネット上で丁寧に完膚なきまでに示されています。情報化社会のうねりに耐えられずに駆逐され淘汰された状態になっています。
はたしてそうなった時に発せられる「イノチヲカケテ」にはどれだけの値、重み、凄みがあるのだろうか。いや、全く感じられないどころか、言葉そのものの価値を貶める、記号の羅列にすぎないのでないかと思います。
全てが清算される時を静かに待っています。