私:信心決定してからどうしましょう?
〰️内なる思い〰️
例えば大学を卒業したら、はいそれで終わり、ではない。学んだ事を実地に活かして世のため、人のために大活躍するのだ。そのように1人でも多くの人に真実をお伝えしていくのが真の仏恩報謝になるのだ。仏様のように出来なくても真似事でもいいからやるべきだ。
自信教人信 難中転更難
大悲伝普化 真成報仏恩
(往生礼讃)
〰️所属した団体の教えの記憶〰️
先生:これをしなければいけない、というものは特にありません。
私:あれ、このご和讃はよくお聞きしましたけど。
他力の信をえんひとは
仏恩報ぜんためにとて
如来二種の回向を
十方にひとしくひろむべし
(正像末和讃)
先生:そうですが、十方に等しく、とありますからね。十方となると仏になってからでないと出来ないでしょう。
私:ああ、確かにそうですね。
正直呆気にとられました。信心決定したんだからこうあらねばならない、という脅迫観念めいた思考が顔を覗かせていたのです。どこどこまでも団体の教えが染み付いていました。意外とも思えた回答に程良く肩の力が抜けたのでした。
その後、先生方の勧めで(身内お同行と)共同ブログを始め、信心について等ありのままの思いを綴りました。頭の中を整理出来たことは幸いでした。数年してやり切った感があり終了。
その後も先生は継続して浄土真宗の真実信心をお伝えしていました。
念仏者とんのつぶやきは、浄土真宗の重要なところを再度整理して残しておきたい、という気持ちが湧き出て自ずと始めました。 その主旨は既に果たせています。いつまで続けるかは本人の気分次第です。凡人、こんなもんです、、。
やはり信後の生き方はこれだ、といった型のようなものはなかったです。あるとすればそれぞれが南無阿弥陀仏のお働きに包まれた人生、より多くお念仏を称えることだと思っています。
大悲を常に行ずるままが、
自信教人信 難中転更難
大悲弘普化 真成報仏恩
(教行信証信巻 、化土巻)
大悲ひろくあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるに成る、になっていくのであれば本当にありがたいことです。