不祥事が明るみになり、経営陣が謝罪会見を開いて冒頭で深々と頭を下げる。
日本企業に伝統的な慣習なのかも知れません。
形だけだろ、と冷めた目で受け止められる場合もありますが、お詫びの意を表す、今後の対処や対策を打ち出す、相手側に長期的な補償を約束するなど、後に改善の節目として捉える事が出来れば、会見は成功と言えるのではないでしょうか。
比較すること自体がナンセンスかも知れませんが、真逆の閉じられた対応の組織にいました。
まず、絶対に浄土真宗の教義誤りを認めないし、当然詫びることは1度もありませんでした。問題のほぼすべてはこれに尽きると思います。
話し手は如来のお取り継ぎであり、説く側も聞く側も共に阿弥陀仏に救われていく御同行であります。
その自覚が僅かでもあれば、教義誤りを指摘されたら、直ちに受け入れて改めるはずです。ごく普通の対応と考えます。南無阿弥陀仏ですから。
それをしない時点で何かがおかしい。
以前はどこかで感じていてもスッと流す思考が身に付いていました。
あれ?という直感や違和感はほぼ当たっていました。尊重すべきです(^_^;)。今はその確度がダダ上がりです。そんなつもりはないのですが。
トップが謝ったら目覚める人も多いのに、残念。
とんのつぶやき
世の中こんなもんです。何であれトップの責任は大きいですね。