念仏者 とんのつぶやき

浄土真宗の信心、仕事、日常の出来事など思うところを綴ります。

其の名号を聞いているのが信心

 以下、先生の法話の1部抜粋です。前後のお話の流れもあるので、全くそのままではありません。その上で。

(信心が崩れたという質問。疑蓋についてのお話から)

信心と言うのは、其の名号を聞ているのが信心なので。私(の側)からすると、聞いているだけなんです。聞いているだけだから、私が何かを貰っている訳ではないんです。貰っているモノが無い以上は、握っているモノも無い訳なので、壊れるモノも無いってことです。

「お前、浄土へ行けると言っているけど本気で信じているの?」と仮に言う人があっても、「私が言っていることじゃないんです。阿弥陀様が仰られているんですよ。南無阿弥陀仏と私を呼んで下さっているから、いかせてもらえるということなんです」。

これが崩れないと言われる所以なんです。呼ばれているから、つまり名号によって呼ばれているので、それを聞いているので、参らせてもらえる、と言うのが信心ということです。

信を賜ると言っても、中身は法を賜るということ。法を受けたのを信心と言うのであって、信心と言う何かモノを賜るのではないのです。じゃあ法とは何ですか、と言ったら名号という法の話(こと)です。必ず助けるぞ、という法を私が聞いている、ということなんです。

(その後も続きます)

 身内お同行の声かけもあり、怠け者、後半だけですがようやく視聴させて頂きました^_^。

 懐かしくもとてもありがたい内容でした。紹介して下さったお同行に感謝致します。