以下、先生の法話の1部抜粋です。前後のお話の流れもあるので、全くそのままではありません。その上で。
質問:
『本願成就文には念仏称えておくれ(称えよ)とは、仰って(書いて)おられない。』と言う方がありますが、どう思われますか?
回答:
聞其名号 信心歓喜
(本願成就文)
このことについて親鸞聖人は、
本願の名号をきくとのたまへるなり
またきくといふは信心をあらはす御のりなり
(一念多念証文)
本願の名号を聞くってあるじゃないですか。
聞いたのが信心とあるのは結構なのですが、聞くって言うからには当然音を聞いている訳ですよね。音って言うことは音になった名号ということですよね。音になった名号って何かって言ったら念仏じゃないですか?。以上。
視聴者とん:
あっという間に終わってしまった、、、^_^
回答続く:
「念仏となえよ」は、「称名」ですよね。
(そう言う方は)「称名」と「本願の名号」は別物だ、と言う理屈なんですね。
〰️以降も回答が続きます〰️
とんのつぶやき
称名にならない名号ってありますか?
その通り、その通りでありますね。愚者のとんにはしっくりしっくりきます。
浄土往生する為に聞かせて頂くのですから、心を広くして、おおらかな心でもって沙汰したいところですが、お粗末とんは眺るばかりです。
称名にならない信心って何ですか?
と呼応して締めます。