信心(信)と念仏(行)について親鸞聖人は、
信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。
(親鸞聖人御消息)
と仰られていることを以前も書きました。
兎にも角にも、ただ念仏一声でも十声でも称えましょう。18願を念仏往生の願とも言われます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
行をひとこゑするとききて疑はねば、
自ら称え聞く南無阿弥陀仏に微塵も疑い無い。 念仏する人の中に自力もありますよと峻別されたのが親鸞聖人でありました。
行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。
はいそのように受け取りました。ではどうしましょう?
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
(教行信証総序)
親鸞聖人は行を獲ば、と書かれず信を獲ば、とも書かれず、行信を獲ば、と仰せです。
遠く宿縁を慶べ
はい仰せの通り宿縁を慶ばせて頂きます。南無阿弥陀仏。