念仏者 とんのつぶやき

浄土真宗の信心、仕事、日常の出来事など思うところを綴ります。

行信不離ということ その3(ただ念仏、ただ信心)

 「ただ念仏」について、

極重の悪人はただ仏を称すべし

正信偈) 

極悪深重の衆生

 他の方便さらになし

 ひとへに弥陀を称して

 浄土にうまるとのべたまふ

高僧和讃

 しかし一方では、

速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とす、といえり

正信偈

涅槃の真因はただ信心を以て

教行信証信巻)

 歎異抄では、

ただ信心を要とす

(第一条)

ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべし

(第二条)

 これらから導き出されるのは、

往生の因は念仏、つまり称名正因。

往生の因は信心、つまり信心正因。

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Q:どういうことですか?

A: ただ仏を称すひとへに弥陀を称してただ念仏して。ここに信心が含まれているのです。つまり「念仏一つが信心」ということです。

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 このことを分かりやすく末灯鈔 には、

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。

 親鸞聖人は、「念仏一つ」にも「信心あさく」の自力信心(念仏)と、「ふかく信じて」の他力信心(念仏)があると峻別されました。

真実の信心は、必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり

教行信証信巻)

 「念仏一つ」と信じて称える念仏に、自力もあると釘を刺されています。

とんのつぶやき

 学びと、そこからの考察を書きました。また忘備録として後から振り返って再考できるようにしました。