親鸞聖人のお言葉
「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。
(尊号真像銘文)
ある布教使の言葉
親鸞聖人の教えを間違えてお伝えしようものなら切腹物です。私はその覚悟で説いています。
「『若不生者』の『生まれる』は「この世で信楽の身に生まれることです。この世で正定聚に生まれることです。」
〰️頑なだった主張が約7年後には〰️
→機関誌:弥陀の本願の「若不生者」の「生まれる」を、善慧房証空は「死んで極楽に生まれさせる」お約束だと大衆に説き、親鸞聖人との「体失不体失往生の諍論」が起きた。 しかし、聖人もご著書に、この「若不生者」 を「わが浄土にもし生れずは」と記されている。ならばなぜ、諍論は起きたのか。
とんのつぶやき
誤りをどれだけ丁寧に指摘されても、絶対に認めない、謝らない。
一事が万事、その他は推して知るべしでした。
そして、、やがて、、しれっと何も無かったかのように(^_^;)。
まさかの「時間差オチ?」があった事までは知りませんでした。それで回想しました。