念仏者 とんのつぶやき

お慈悲に包まれた日常と、浄土真宗の救いを綴ります^_^

仕事納めと浄土真宗の勧め

 仕事納め!、、、、、、色々でした(^_^;)。ようやった(自分で自分を褒めてあげたい)。

 思うままに記します^_^。

 全く浄土真宗のお話を聞いたことの無い方の場合には、私が生きていく中でどういう意義があるのか?、そもそも聞く価値があるのか?、聞いても聞かなくても別にどうでもいいのではないか?など根本的なところから聞かせてもらうべきかと思います。

 人、つまり私は必ず一度は死ぬ。当たり前のこと。では、死んだらどうなるのか?。仏道の出発点と言えるでしょう。

 しかし、死について、大きな壁があります。

 死んだら死んだ時、考えても分かることでも解決できることでもないし、意味も無い。また暗くなるだけだろう。それよりも今を精一杯楽しく生きようではないか。

 大概はこんな感じではないでしょうか?。

 いや、実際のところほとんどは、無関心、の一言に尽きるのではないかと感じています。

 多様性の時代、死の問題を別にしても、一生のうち、何にでも関心をもって時間をかける余裕も思考も無いだろうし、不可能でしょう。また、気が付けば圧倒的な情報量に翻弄され心穏やかになりにくい現代です。

 考えても無理、無関心、情報の海、これらの壁。

 そしてもう一つの大きな壁は宗教に対する偏見と、浄土真宗に対する誤解と無関心。

 厳しい現実、、、。五濁悪世と教えられる通りの時代。

 そんな中で阿弥陀仏の本願力に救われたのは、正に宿縁としか言いようがありません。

 たまたま行信を獲ば遠く宿縁を慶べ

(思いがけず救われたならば、遠く過去からの因縁を慶びなさい)。

 親鸞聖人のこのお言葉がいよいよ身に染みて嬉しい。こんなつまらない自分がどうして救われた?。有り得ないこと。法を仰げば安堵の呼吸。

 死後、輪廻転生から解放され脱却し、一切の苦しみや悩みの滅した浄土という清らかな世界に生まれて、仏にならせて頂く。そして衆生済度させて頂く。それは死んでみないと分からないのではなく、今ここ、生きている今、各々の実感(正確には無疑心)を以て確約されてしまうのです。他力本願、阿弥陀仏の救いとはこういうことです。

 そうでなければ業報輪廻、生まれては死に生まれては死に、苦しみの連鎖から逃れることが出来ないと仏教、当然浄土真宗でも教えられる通りです。

 これを阿弥陀仏の本願力によって解決できるというのでが浄土真宗なんです。ちょっとでも聞いてみたいと思いませんか?山あり谷ありの人生を生き切った後、いわば明日より確実な死後、果てしなく続く業報輪廻から脱却して極楽往生したいと思いませんか?。

 死んだらどうなるのか、絶対に避けて通れない死後の問題。それは、今ここ、を生きている私の問題であるのです。蓮如上人は後生の一大事と言われます。

 浄土真宗の信心(他力回向の信心)を頂いて、丁寧に他力の信心、浄土真宗の核心部の話しをされる僧侶は殆どいないよう(私見)ですがおられます。

 以上今年最後(の予定?)のつぶやきでした。

 しっかり休むぞ!読書もしよう!