極端な例外として浄土真宗系カルトは、「人生の目的」や「なぜ生きる」というフレーズを用いて、親鸞はこれ一つを明らかにされたと主張して信者獲得に躍起になっていますが、全く論外です。
一つ挙げるとすると、世界中の人で一度も浄土真宗の教えに触れることなく生涯を終える人はどれくらいでしょうか。ほとんどと言っても過言ではないでしょう。これら大勢の人は蚊帳の外で、人生の目的を知らされた私は、仏縁の深い恵まれた選ばれし者なのでしょうか。
果たしてこれは仏の視点に通じるのか?
私が生きる目的、私が、私が、という私を固定観念的にみる思考を客観視する事は容易ではないようです。