昔話です。
間違った浄土真宗の団体の話しを長年聞いて、強烈な選民意識や偏った教義理解をしていました。しかしながら、教祖の話しぶりやカリスマ性、団体のスタイルに酔いしれていた自分があったのも事実です。
ですので100%の責任が教祖や団体にあったとは思っていません。私にも素因があったのです。他人にも迷惑かけてきました。
ただ、 染み付いた思考や間違った教義解釈を認知し、そこからほぼ抜け切るには、今思うに相当な期間が必要でした。冷却期間があってよかったと思います。
そうでもしないと、反射的に違う性格を持った団体に、熟考せずに飛び込んでいく可能性をはらんでいました。
「私に限ってそんな事は無い」と思うのが常ですが、信後でも野心や反骨心は何ら変わりません。