念仏者 とんのつぶやき

-往生浄土の身となり、いろいろな思いを残しておきます-

嫌なこと

 嫌なことがおきても決してそれは他人のせいではないですよ、というのが因果応報・自因自果ということでしょう。ただ嫌なことと思っていたことが、時間が経つといい経験だったと反転することもあります。ややこしやです。

 それでもどうにも腑に落ちない時は仏様にぶつけておくのがよいかと思ったりします。

 念仏となえるご縁になる・・・、都合良すぎるかもしれませんが。

はが・の・をに

「人生が目的」

なるほど!と思いました。南無阿弥陀仏のはたらきに遇うことができるのは生きている今、人生。であれば各人の人生そのものが目的となる。貴重な時ですね。

 

「人生の目的」

このフレーズをこれまでいろんなところで耳にして、言葉そのものの捉え方についても考えてきました。

 

スカッと線引きができた心地です。

他のブログを読んで私なりの気付きをさせてもらいました。ありがたいことです。

ご縁

もっと早くにこの分野のことを知っていたらなあ、と思うことがあります。教えてくれる人や機会がなかったものかと。

けれどよく考えてみると、そういう機会は少なからずあったのではないかと。情報を耳にしながらも、その時の自分には関心が起きなかった、心に響かずにスルーしていたのではないかと。

これが縁なのかと思います。ただし良い縁、悪い縁があるので結果的にそれが本当に良かったのかは浅はかな知恵では分からないことではあります。

 

南無阿弥陀仏とのご縁は間違いなく良い縁ですので、ご縁のあった方は早くおまかせする身になっていただきたいです。

死ぬことの意義

普通、生きること以上に、死ぬことの意味・意義はなかなか見出しにくいと思います。崇高な思考の力でもって見出したとしても、死ねばその力も失うものだからです。

救われた人が亡くなることを、浄土真宗では「死ぬ」とは言わずに「往生する」と言います。「生まれる」のです。浄土往生、浄土に往って仏に生まれるのです。

そういう身にただ今救われてこそ、生きることの意味、死ぬことの意味・意義が見出せるのではないかと思います。

短い一生でも大変

世界で起こっているコロナウイルス関連のニュースにあれこれ思い悩むのですが、実際に自分にできることはあまりにも小さく限られたものだと我に返ります。

明日がどうなるか分からない短いこの世のことでも生きていくのは大変です。割り切ってすべきことを淡々としてゆきたいと思います。

この世から永い永い後生のことは阿弥陀仏の本願にまかせる他はありません。何の手出しも必要ありません。ただ今救うという南無阿弥陀仏の呼びかけにおまかせするのです。

ご縁のある方も同心に、と願うのですが、これも阿弥陀仏まかせです。是非ともまかせ切ってください。そう願うばかりです。