念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

^_^ぼっち信心の沙汰 知識の恩

2010-04-21
知識(先生)の恩
 
以前、阿弥陀仏に向かったつもりが実は向かっていないことがありました。
ちょうど先生は私の後ろに立って、向きを阿弥陀仏に向けて下さる感じでした。
阿弥陀仏と私の間に立つのでなく、後ろです。

久しぶりに過去3年間余り続けていたブログ「往生は投げた」に目を通しています。

信後の生活を顧みるよい縁になりそうです。

当時のエントリーをそのまま載せて、率直に思うところを過去の自分につぶやきしようと思います。今回はその1です。

Nowとんのつぶやき

自力が何やら分からず、自分の心の動きばかり追い求めている時期がありました。そうではないよ、阿弥陀様に向かって下さいと繰り返し聞かせて頂いたのでした。

なむあみだぶつと私との一対一のぶつかり合い、先生方は脇役、裏方なのでありました。

だから今も敬うことができるのでしょう。

ものを言え

 思いを言葉にしようとする時、以外に難しくなかなか上手く表現出来ないことがあります。

 それは、そのものがらに対する理解が不足していたり、理解したつもりでも頭の中で整理できていなかったりするためかと思います。

 こと信心について蓮如上人は「ものを言え、ものを言え」と仰られています。それは端的に、南無阿弥陀仏のはたらきを疑い無く聞いているか否か、確認するとても貴重な機会となるからでしょう。

 不審や思いを口にすることで、同行(お仲間)や先生から意見を受け合い、より理解を深めて信心を喜ぶご縁になり、あるいは聞き誤りに気付かされて聞き直すご縁にもなります。

 素直に気楽に自由に議論したいものです。

つぶやきの原点

 私の勤務先店舗の待ち合いルームにはテレビが設置されていません。有線放送で小さいボリュームで音楽をかけています。

 しばらく様子を見てから設置の有無を判断しようということで、テレビ無しで店舗オープンしたのでした。それが今も続いています。

 今日、年配の方が、ここにはテレビが無いから寂しいね、と受け付けに声をかけていました。

 そういえば最近不満の声をほとんど耳にしていなかったなあ、と。

 何故か。それは小さな子供から大人までスマホを操作して時間を過ごす人が増えたからです。そのおかげでしょう、待ち時間に不満を漏らす方も想定していたより少なく感じています。

 今や情報収集やメモ、スケジュールや健康管理、支払いまでもスマホ一つで事足りるのが当たり前になっています。

 どんどん世の中変わっています。

 このブログもそうです。以前はパソコンに向かっての作業でした。今はスマホがメインです。便利になったものです。

 とはいえ頻度はまちまち、今後も気の向くままにつぶやきます。

今の連続が人生

 今日一日を振り返り、明日の予定をたてますが、そう考えているのは今、昨日も今日も明日も今の連続と言えるでしょう。

 いつ救われたとかどう救われたとかは二の次、今救われているかどうかが肝要です。

 今救われていますか?自問自答です。

 蓮如上人の御文章に出てくる「今こそ明らかに知られたり」の今は常にこの今です。

 ですから、南無阿弥陀仏を疑い無く聞き入れている人はどこまで行っても、明らかに知られたり、です。

 そして命尽きれば浄土往生です。

 念仏の日暮らしとなってきます。

生きている間に

 何気なく生きていますが、思わぬ体の不調に見舞われ、医療や薬の力に助けられる事もあります。

 また、検診によって自覚症状のない異常が見つかり、病気の予防や早期治療につながる事もあります。

 ああ良かった、一安心。

 そうした恩恵を受けて生きている今、他力の信心を頂くことがあれば、これ以上喜ばしい事はないでしょう。

 俗に言えば滅多にないチャンス、是非とも南無阿弥陀仏の救いにあずからせて頂きたいものです。

 本当に良かった、南無阿弥陀仏

他力信心の不思議

 他力の信心を頂くことは、ただ今助けるという南無阿弥陀仏のおはたらきを疑い無く聞き入れること、とてもシンプル、極めて簡単なことです。

 そのおはたらきには絶え間が無いので、いつでもどこでも助かります。

 言葉を換えれば、ただ今助けるおはたらきに気付かせてもらうか否か、それだけです。

 他力の信心のあり様は、「目標を立ててそれに向かって努力する」こととは正反対です。目標とは未来の事ですから。これが一般常識の考え方でもあります。

 助かるのが難しく感じるとすれば、この常識的思考が邪魔をしているのかも知れません。

 私の行いを頼りにするのではなく、南無阿弥陀仏(法)が頼りとなる。

 私の真の姿を見抜いて、私が助かる努力も苦労も、全て阿弥陀様の方で解決下さり、ただ今助けると呼んでおられます。そのまま聞き入れるだけです。

 嬉しい事に、旧知の方々が救われて、再会する機会が増えてきました。南無阿弥陀仏のおはたらきですから至極当然のことですが、何とも有り難いご縁です。

先延ばし

 ただ今助けるという本願がはたらき続けています。それによってただ今救われるという事があります。

 面倒な事ほど先延ばしにしたい私にとっては、しんどく感じられた時期もありました。

 ただ今、と言われるので、こちらもただ今の問題として聞かせてもらったのでした。

 後生の一大事とは言いますが、現実には、ただ今の一大事でありました。