念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

おすすめの書籍

教行信証」からひもとく浄土真宗の教え

             藤澤信照著 宝蔵館

 1回じっくりと拝読しました。はじめに戻ってまた読み直し始めたところです。

 感覚として、梯和上の語り口(書籍上の)を、少しすっきりさせた語尾の言い回しが私に合っています。

 そんな細かい事より、著者が言うところの、和上の「真宗要論」の講義の特徴と魅力を感じることが出来ました。また【はじめに】からズバリ浄土真宗とは何か、が述べられています。

 この本のおかげで、ようやく親鸞聖人の主著「教行信証」の骨組みを理解した感があります。自身の信心に照らしながら、提示されるお聖教の根拠の理解も深めていきたいと思いました。

 あらためて親鸞聖人は、お釈迦様はじめ七高僧方や先哲の教えをそのまま引き継ぎながらも、その真意を鮮やかに開顕された偉人であると知らされます。

 間違いなく良書中の良書です。

同窓会

 たまにつぶやきますが、歳相応に気力体力は落ちていくものだと実感します。

 中学校の同窓会が卒業して30年後に初めて開かれた時、当時の担任の先生は校長まで勤め上げ、すでに第一線を退いておられました。よもやま話に花が咲く中、50歳を過ぎたらガクッと体にきたよ、と言われ薬をチラッと見せてくれました。

 当時は、まあ人それぞれですよね、と内心思っていましたが、私も○歳を境にあるところがガクッときて(病はそれぞれ)驚きました、、。

 気が付けばベテラン、次世代に託せるものは託していかないと。

 一生過ぎ易し。健康寿命短し。

頭の体操〰︎決まっている〰︎

 ある布教師が、

「救われたらその瞬間がハッキリするに決まっている!私の心ですから。火に触るよりも明らかなんです!」

 食レポで出された料理を前にしてMCが、

「これは美味しいに決まっている!」

 この2人の共通点(掘り下げるとややこしい側面もありますが)は如何に。

 まだ頂いてない!

 念仏者 とんのふかよみ^_^

納涼会

 職場と関連グループによる納涼会がありました。コロナの影響で昨年夏から4年ぶりに再開されています。 

 年に2回ある恒例行事の一つで、この時にだけ顔を合わせる方もあります。

 仕事の延長的な側面もありますが、飲食や会話を楽しみながらお互いの無事(笑)を確認出来る良い機会だと思いました。

 また現場が違うと、どうしても噂話しや耳に入ってきた情報でその人の判断をしがちになります。短時間であっても直接会って話すことで相手の率直な思いが感じとれて、相手の見方を改める事になりました。

 なるべく気楽に明るく働けるように。おかげ様で今週も仕事でございます。

^_^ぼっち信心の沙汰 念仏のとなえ心

2010-03-29
念仏のとなえ心
 
以前は、助かりたい救われたいの心がくっついて離れませんでした。
今は、それがさっぱり出てこようがありません。

N o wとんのつぶやき

 当時のとんに、今もそのまま同意します。

「信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。

これみな弥陀の御ちかひと申すことをこころうべし。行と信とは御ちかひを申すなり。」

親鸞聖人御消息 )

 念仏するものを助けるという本願を聞いて、となえる念仏(行)に、疑う心の少しも無きが信の一念(信心)でありました。

 行と信は離れたものではないということが腑に落ちます。このお言葉が馴染んで、より嬉しくなってきました。

 南無阿弥陀仏

35年目の変節に学ぶ

 浄土真宗には約850年の歴史があります。

 所属していた団体のトップの先生(以降A氏)は、団体を立ち上げて35年目にして、大きく布教の主張するところを転換しました。当時は新鮮な驚きと共に、真実を知らされたのだ、との喜びで、言われるままに該当の言葉を丸暗記して、A氏の主張する解釈を受け入れたのでした。

 タラレバですが、この時点で団体に見切りを付けるのが正しい選択でした。親鸞聖人以降、善知識として歴史に名を残す偉人や、大学者、名は残らなくとも、多くの賢者によって教義解釈や法論が繰り返し行われて洗練され、様々な時代背景を経て今日の浄土真宗に至っている訳です。議論が出尽くしているとは言えなくとも、膨大な頭脳と知恵の結晶が教義の根幹を支えている訳です。

 その一派を破門になってA氏が立ち上げた団体。35年目に打ち出した新説の根拠や解釈が、目に余るほどずさんであり歪んだものであったと知ったのはずっと後になってからでした(その後、ネット上の法論で徹底的に間違いが指摘されて公になった事を知りました)。

 当然と言えば当然。真宗の教義がそう簡単に揺らぐものではありませんし、ましてその教義に裏付けされた信心が変わるものではありませんでした。見事にA氏に騙されたのでした。

(実際に退会したきっかけは、団体立ち上げ当初から主張していた、阿弥陀仏の本願に対する教義解釈の間違いです。これだけで十分でした。)

 教義の変節は要注意です。人間は怖いモノ持ってるんです。

「私は真実を説き切っている。聞き切らないのは皆さんの責任です」

 何度かA氏から聞いた言葉です。これまではずっと、A氏は命懸けで布教しているのに真剣に聞き切らない自分、をひたすら責めていました。

 ところが、、、。

 インターネット上から教義の誤りに気付き、退会を決意し、これで最後と臨んだ講義の冒頭で、その言葉が飛び出したのです。

「私は真実を説き切っている。聞き切らないのは皆さんの責任です」

 どんな思いが沸き起こったか。

 嘘つき!と言って張り倒してやりたい、でした。その後の話の内容はインターネット上の教義誤りの指摘に対する言い訳でした。

 何も知らない仲間達は、これまでの私と同じように険しい表情で、真剣に聞き切れずに申し訳ありません、の思いで聞いていたでしょう。単なる言い訳話しとも知らずに。言わば保身話しを延々と聞かされていたのでした。

 A氏の裏の姿、いや本当の姿を知った後は、A氏を見る目がガラリと変わりました。

 500年に1人の大先生が、嘘つき爺さんに^_^

 しかしそれと同時に、騙された自分という者を見つめ直すべし、でありました。

 カルト団体を離れてから学んだことはいくつかあります。信心の有無とは無関係に、

冷却期間をおく。

◯思考(カルト思考)を洗い出す。難儀でした。

◯外部の意見に耳を傾ける態度を身につける。

◯教義に冷徹に。

◯知識の話す内容は慎重に批判的に聞く。

 何よりも時間的、物理的な距離を置くべきです。もちろん年単位です。

(以降の内容はブログの趣旨に合わない記述であったので削除しました)