念仏者 とんのつぶやき

-往生浄土の身となり、いろいろな思いを残しておきます-

雑草

 散歩道の脇の雑草が勢いよく伸びています。刈らねばならない人間の立場から見れば厄介ですが、夕陽に映えていのちの力強さを感じとることができます。

 運動不足解消のためのささやかな時間ですが、夏にかけて少しずつ距離を伸ばしていきたいと思いました。

同じ言葉でも①②

「死んだら極楽、死んだら仏」(①)

「この世はどうにもならんもんや、死んだらお助けなんだ」と言う人のことを、独特の節回しで揶揄する布教使の話を聞いたことがあります(つくづくこの世はどうにもならんもんやなあ、と思うこの頃ですが)。確かに、生きている今本願に疑い無く救われることが大事です。

 しかし救われたと言ってもこの世で仏に成れるのではありません。死んで仏に生まれる(往生成仏)のですから救われている人にとっては、

「死んだら極楽、死んだら仏」(②)

これ以上に心強いことは無いでしょう。人間にとって最難関の死の問題をクリアしているのですから。

 同じ言葉でもTPOによってニュアンスががらりと変わってしまいます。

※(②)の場合「死んだら」、よりも「この世の縁が尽きたなら」「力尽きたなら」、などの表現がしっくりきます。

周年

 生後、デビュー、結成、没後、復帰〇〇年、など節目の年ということがあります。先月、今月は個人的にそういった関心事が多くありました。その中で確実に年を重ねている自分がいるわけです。

 世の中いろいろなことがおきますが平凡でも前向きに歩んでいきたいと思います。

今はできなくても

 わずかばかりの縁ではあっても、その方が亡くなったことを知ると生前の最後となった会話が思い出されます。仕事柄そういうことが年に何度かあります。

 この世でできることはなくとも、仏様に成らせて頂いてその方のためにできることがあるのだろうと思っています。

 そして他力の信心を頂いていることがいよいよ有難く思えてくるのでした。

 自分ではどうしようもできないことには反応せずに、自分のできることに集中する。このようなことを言うトップアスリートや著名人がいます。なるほどと感心しますが、実行するのは至難の技だと思います。反応しないようにと反応してしまいます。

 なるべく悪縁には近づかないように、というのが賢明かもしれません。良い縁を求めていきたいものです。

キリがない

 仕事にはキリがないので、どこかで踏ん切りを付けるしかありません。一日のうちで一番ながく時間をかけているので強くそう思うのかもしれませんが、何事でもきっとそうなのでしょう。どこかでけじめをつけるべきものなのでしょう。

 そこで限られた命で何をするかが大事になってくるのですが、このままの私で救われていることほど有難いものはないと思い知らされるのでした。

置き忘れ

 先日、傘をある店に置き忘れたことをその日の晩に気付きました。店を出る時には雨が降っていなかったのと次の用事を考えていたからでした(次の日に傘を取りにいきました、一件落着)。

 気を付けないとな、と思いましたがこれまでも何度かやってます。誰でもそうかもしれないですね。自分の勤める店舗でも置き忘れ傘はちょくちょくあります。

 そう思いながら傘を持って歩いている時、信心だけはどれだけ忘れていようとも私から離れることはないぞと思い、ハッとしました。なんと有難いことかと念仏称えさせてもらいました。

 実に気楽です。