救われているということが当たり前になっています。バタバタしていると有難いことを有難いことだと完全に忘れてしまっています。そんなときでも常に信心を護ってくださっているのが阿弥陀さまです。
拝まないときも 拝んで下さっている 阿弥陀さま(今月のカレンダーのことば)
こうでないと私は救われないのだと思います。なむあみだぶつ。
後生の準備と言っても、私の方で用意するものは一つもありません。例えばすでに大きな船に乗っていて、その船はいつ私の寿命が尽きても浄土に行き着くようになっているようなものです。
後生を考えようが考えまいが、考えることが出来なくなったとしてもそれは全く問題にならず関係もなく支障になりません。
そういう船にすでに乗せられているとすれば、何とも身軽で楽なことでしょう。しんどいことがあっても頑張っていこうかな、と思えてくるものです。