異安心
間違えた浄土真宗の話は聞けば聞いた分だけこんがらがった信心が出来上がってました。相当深い泥沼に落ち込んでいたようなものです。異安心どころか〇△×?!(訳の分からない様(笑))でした。 まるごと捨ててからゼロからスタートしたほうが余程早かったで…
悪人正機について、 「要は自分は悪人であると自覚しろってことだな」 という言い回しを読みました。 ちょっと違和感があります。 この表現が良いか良くないかということは別問題として、 自分は悪人であると自覚したこと、それ自体は救いでも何でもない、と…
救われたからといって、浄土真宗の知識や学問は何ら変わりません。本願に対する疑いの心が無くなっただけです(このだけ、が実に有難いことではありますが)。 勉強したり経験を積んだりしないと何も身につかないのはどの分野でも同じかと思います。 端的に…
10月7日、「私の前に道はない」のタイトルでも書きました。 ~~ 道があったとすれば、救われて振り返る程度のもの。親鸞聖人の三願転入の文もそうですよ。 南無阿弥陀仏においては道など元より無いですからね。 ~~ と。 ついでに言えば、「宿善」につ…
薬の順番待ちでのこと。 キッズコーナーで絵本を見ていた子供。順番が来て母親が呼ばれる。まだ遊んでいたいと逃げる我が子を抱っこ 。そして抱いたまま薬を受け取り帰宅の途に。 力強いですね。 いろいろな理由をつけて逃げようとする者であっても、追いか…
親鸞聖人は教行信証の冒頭(総序)に 「 たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」 と述べておられます。 思いがけず救われたならば、遠く過去からの因縁を喜びなさい、と。 思いがけず救われるのであって、たとえれば、いつの間にかひょいと救いとられたよう…
ああして、こうして、こうなったら救われるだろう。 そんな道(ストーリー)はありません。あったほうが分かりやすいですか。ピタッときますからね。けれどもそれは私の分別。 道があったとすれば、救われて振り返る程度のもの。親鸞聖人の三願転入の文もそ…
どちらが正しいでしょうか? A:南無阿弥陀仏は、この今救ってくださります。そういうはたらきです。 B:南無阿弥陀仏とはいえど、雑毒の善しかできない者であるとはっきり知らせてからでないと救えません。できるという自惚れ心をぶっ壊さないとだめなんで…
地獄や極楽を見ることも知ることもないままで救われるんですよ。なんにも私に求められてないですから。救われても同じ。なんにも分かりません。 なむあみだぶつのはたらきを疑いなく聞けるようにしてもらうだけですからね。
「本願を信じ念仏申せば仏に成る」 簡単すぎるから間違えやすいのかと。 浄土真宗には昔から異安心というものがいろいろあるので気を付けないと。 ネット上ではこんなの載ってました。 「地獄一定と極楽一定が同時にはっきり知らされ、相続するのだ」 さすが…