念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

異安心

領解文(改悔文)

りょうげもん(がいげもん)と読みます。蓮如上人の時代から始まったもので、浄土真宗の正しい領解(信心)を口に出してあらわしたものです。 自身の領解(信心)を告白し、間違いがあれば正してもらう良いご縁となります。領解文は、その人の信心が正しいか間違…

人間って難しい

救われたからといって、浄土真宗の知識や学問は何ら変わりません。本願に対する疑いの心が無くなっただけです(このだけ、が実に有難いことではあります)。 勉強したり経験を積んだりしないと何も身につかないのはどの分野でも同じかと思います。 端的に言…

宿善について

10月7日、「私の前に道はない」のタイトルでも書きました。 ~~ 道があったとすれば、救われて振り返る程度のもの。親鸞聖人の三願転入の文もそうですよ。 南無阿弥陀仏においては道など元より無いですからね。 ~~ ついでに言えば、「宿善」についても…

私の前に道はない その3

薬の順番待ちでのこと。 キッズコーナーで絵本を見ていた子供。順番が来て母親が呼ばれる。まだ遊んでいたいと逃げる我が子を抱っこ 。そして抱いたまま薬を受け取り帰宅の途に。 力強いですね。 いろいろな理由をつけて逃げようとする者であっても、追いか…

私の前に道はない その2

親鸞聖人は教行信証の冒頭(総序)に 「 たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」 と述べておられます。 思いがけず救われたならば、遠く過去からの因縁を喜びなさい、と。 思いがけず救われるのであって、たとえれば、いつの間にかひょいと救いとられたよう…

私の前に道はない

ああして、こうして、こうなったら救われるだろう。 そんな道(ストーリー)はありません。あったほうが分かりやすいかもしれません。ピタッときます。けれどもそれは私の分別です。 道があったとすれば、救われて振り返る程度のものです。親鸞聖人の三願転…

どちらが正解?

どちらが正しいでしょうか? A:南無阿弥陀仏は、この今救ってくださります。そういうはたらきです。 B:南無阿弥陀仏とはいえど、雑毒の善しかできない者であるとはっきり知らせてからでないと救えません。できるという自惚れ心をぶっ壊さないとだめなんで…

こんな異安心あった?(つづき)

地獄や極楽を見ることも知ることもないままで救われるのです。救われて見えるようになるのでもありません。 南無阿弥陀仏のはたらきが疑いなく聞けるようになったのです。

こんな異安心あった?

「本願を信じ念仏申せば仏に成る」 簡単すぎるから間違えやすいのかと思います。 浄土真宗には昔から異安心というものがいろいろあるので気を付けないといけません。 ネット上ではこんなの載ってました。 「地獄一定と極楽一定が同時にはっきり知らされ、相…