念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

笑顔

母親が、桜並木の前で友達4人、並んで写っている写真を何気に見せてくれました。 皆さんいい笑顔です。春の陽気と桜のピンクが自然と顔をほころばせているかのようです。 今ここを、南無阿弥陀仏のおはたらきに疑いなく生きている母は真の幸せ者だと思いま…

浄土真宗に帰すれども

昔話です。 間違った浄土真宗の団体の話しを長年聞いて、強烈な選民意識や偏った教義理解をしていました。しかしながら、教祖の話しぶりやカリスマ性、団体のスタイルに酔いしれていた自分があったのも事実です。 ですので100%の責任が教祖や団体にあったと…

^_^ぼっち信心の沙汰 なにもない

2010-11-10なにもない 阿弥陀仏のそのまま助けるのおおせを疑いなく受け容れたのであって、自分の中に何かがあったのではありません。私に、助かるようなものがらは何もないです。 〜 Nowとんのつぶやき 私の中に助かる何かがあれば、救われて、やったぞ!ど…

^_^ぼっち信心の沙汰 人生観

2011-03-06人生観 「日常生活を念仏の縁として生きる」ある本に書かれているのが心にとまりました。こういう人生を送りたい。 〜 Nowとんのつぶやき 念仏者とならせて頂いても、徳が備わったり浄土真宗の理解が急に深まる訳ではありません。 ただ今助けるとい…

大違い

「されば南無阿弥陀仏ともうす体は、われらの往生の定まりたる証拠」 「御文章」四帖目八通 そう聞いて疑い無いのが他力の信心です。 ただ聞いて安心するのは十劫安心です。 大違いです。心の内をさらけ出して沙汰するよう述べておられます。 この御文が一番…

^_^ぼっち信心の沙汰 知識の恩

〜 2010-04-21知識(先生)の恩 以前、阿弥陀仏に向かったつもりが実は向かっていないことがありました。ちょうど先生は私の後ろに立って、向きを阿弥陀仏に向けて下さる感じでした。阿弥陀仏と私の間に立つのでなく、後ろです。 〜 久しぶりに過去3年間余り…

ものを言え

思いを言葉にしようとする時、以外に難しくなかなか上手く表現出来ないことがあります。 それは、そのものがらに対する理解が不足していたり、理解したつもりでも頭の中で整理できていなかったりするためかと思います。 こと信心について蓮如上人は「ものを…

つぶやきの原点

私の勤務先店舗の待ち合いルームにはテレビが設置されていません。有線放送で小さいボリュームで音楽をかけています。 しばらく様子を見てから設置の有無を判断しようということで、テレビ無しで店舗オープンしたのでした。それが今も続いています。 今日、…

今の連続が人生

今日一日を振り返り、明日の予定をたてますが、そう考えているのは今、昨日も今日も明日も今の連続と言えるでしょう。 いつ救われたとかどう救われたとかは二の次、今救われているかどうかが肝要です。 今救われていますか?自問自答です。 蓮如上人の御文章…

生きている間に

何気なく生きていますが、思わぬ体の不調に見舞われ、医療や薬の力に助けられる事もあります。 また、検診によって自覚症状のない異常が見つかり、病気の予防や早期治療につながる事もあります。 ああ良かった、一安心。 そうした恩恵を受けて生きている今、…

他力信心の不思議

他力の信心を頂くことは、ただ今助けるという南無阿弥陀仏のおはたらきを疑い無く聞き入れること、とてもシンプル、極めて簡単なことです。 そのおはたらきには絶え間が無いので、いつでもどこでも助かります。 言葉を換えれば、ただ今助けるおはたらきに気…

先延ばし

ただ今助けるという本願がはたらき続けています。それによってただ今救われるという事があります。 面倒な事ほど先延ばしにしたい私にとっては、しんどく感じられた時期もありました。 ただ今、と言われるので、こちらもただ今の問題として聞かせてもらった…

お構いなし

元旦だろうが祝日だろうが、地震はお構いなしにやってきて、心身を擦り減らし、最悪命を奪っていきます。自然に感情がある筈もないですが、人間ではどうしようもない力に畏れ慄いてしまいます。そこから色々な信仰がでてくるのも頷けます。 どんな事で命を落…

大晦日

今年も残すところ僅かとなりました。 南無阿弥陀仏を称えつつ送る毎日は、平凡ではありますが、何とも有り難いものです。それでまた南無阿弥陀仏。 他力の信心、微動だにせず。法を仰ぐばかりです。 気の向くままですが来年もブログ続けていきます。

お盆のつぶやき

お盆休みも終わります。五蘊盛苦、相変わらず喜怒哀楽しつつも、概ねゆるやかな時間を過ごすことが出来ました。 一日を振り返り、念仏称えて歩んでいきたいと思います。

貴重な日々

救われて14年ほど経ちますが、聞けるタイミングというのがあったように思います。 後生助かりたいという気持ちが無いことには始まりませんが、これまでの聞き誤りを正されて認め、ただ今助けるという本願に真向かいしました。 大袈裟かもしれませんが、そ…

主人公

魅力的な小説や映画に出会うと、いつの間にか主人公に入り込んで、ドキドキワクワクすることがあります。 阿弥陀仏の本願の相手は、十方衆生と言われますが、私のことです。そうならば、何故本願を立てられたのか、私に対してどんな誓いをしておられるのか、…

領解文(改悔文)

りょうげもん(がいげもん)と読みます。蓮如上人の時代から始まったもので、浄土真宗の正しい領解(信心)を口に出してあらわしたものです。 自身の領解(信心)を告白し、間違いがあれば正してもらう良いご縁となります。領解文は、その人の信心が正しいか間違…

真の平等

南無阿弥陀仏の救いの対象から外れる人はありません。区別無く働きかけられています。 自身の業に如何に苦しんでいる人であっても、こんな私が救われるはずがない、と卑下する必要はありません。 ただ今救うのお働きに、おまかせしたのが信心です。罪悪が深…

一度きり

この世で阿弥陀仏の本願の救いは一度きりです。そして救われたならば、捨てられることは二度とありません。たとえ救われたことを忘れてしまっても問題なしです。 要は救われるか否かです。今救うと働きかけている南無阿弥陀仏に、おまかせするのみです。まか…

理想

桜の時期、年度の始まりにはその時々の新鮮な思いがありました。今年もそうです。 一人一人が他力信心の花を咲かせ、頂いた命を育むような生き方に努めるならば、どれだけ素晴らしい世の中になるのだろうかと思われます。

お礼

頂きものに対してやお世話になった人へのお礼は、失礼の無いようにと気を使います。 未だにではありますが、若い頃は常識にも疎く何度も痛いことをしてきました。 他力の信心においては、念仏を称えることが、私の生死問題を解決して下さった御恩返しになる…

あれこれ考える

人生という名の旅は、いつかは終わりを迎えます。 当然、何に時間を使うべきかと考えます。 煩悩や執着は、暇がなく、臨終の瞬間まで消えない、絶えないと教えられます。つまりキリがないということです。 それならば、この世の願いは、そこそこでいいんじゃ…

しかない!

期待しかない。 楽しみしかない。 最近は、しかない、の前に否定的ではなくポジティブな名詞を置いた言い回しが増えたように感じます。「名詞」+「で」の場合も。いずれも、明るい未来に対する今の気持ちを表しています。 これしかない。 するしかない。 元…

是々非々

是々非々で対応する方針を掲げる。 是と非。それを判断する人間自身の主観を全て払う事は不可能です。すり合わせや議論、規則が必要になってきます。 より良く生きるには、まず自身を知ることからでしょうか? そして努力と忍耐。

never give up

考えが凝り固まっているのだから、もうそれでいいじゃないか•••。 真宗を聞き誤ったままの仲間達を想うと、諦めにも似た感情が込み上げてきます。 そんな人にもはたらき続けている南無阿弥陀仏を念じるばかりです。

思考を超えた世界

サラサラと流れるように世の博識を展開する論客、ついつい引き込まれてしまいます。 あくまでも私の主観ですが、そんな人ほど、他力の信心、あて頼りとするような領域には目が向きにくいように感じます。 しかしそのような人でも、平等に、いのちをまるごと…

真っ先に

老いや病で、これまで出来ていたことが出来なくなった自分を受け入れて生きる。 そうだよなあ、と共感する反面、どれだけ賢明な心持ちで生きようとも、遅かれ早かれ死んでいくという壁にぶち当たります。どうしましょう? 「まず信心を決定して」 それからで…

親ガチャ

生まれる処、時、によってその後の境遇は大きく変わります。 また、親ガチャ、という言葉は、今の日本の若者の思いを見事に言い表しているかのようです。 これらは、自分ではどうしようも出来ない、という点で共通しています。 未来を決めるのは自分次第、と…

人生の四苦と独生独死

1人で生まれてきて1人で死んで行くんやな。 ドキュメント番組で、ある1人暮らしの病に臥す老人が、寂しそうに、そう呟いていました。 短い言葉に、生老病死が詰まっています。