回想
14年ほど経ちますが、聞けるタイミングというのがあったように思います。 後生助かりたいという気持ちが無いことには始まりませんが、これまでの聞き誤りを正されて認め、ただ今助けるという本願に真向かいしました。 大袈裟かもしれませんが、そのタイミ…
全人類は悪人であり、死後は地獄に堕ちる。 今思えばゾッとするような話を繰り返し聞かされ信じていました。するとどうなったか? 自己肯定感が下がる、どこか投げやりになる、死に対して過剰な恐怖感に襲われる、他人の良い言動を素直に見れない。 暗くネガ…
間違った浄土真宗の話は、聞けば聞く程に訳の分からない信心が出来上がっていました。今思えば、異安心にもならない代物だったと思います。 こんなに聞いた、こんなに時間かけた、こんなにお金かけた…、案外あっさり捨てました。 間違いと気付いたら、受け入…
阿弥陀仏の願いは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生まれて死んでを際限なく繰り返して(輪廻して)いる全ての人を、出て離れさせ、浄土というさとりの世界に生まれて仏に成らせるというものです。 本当にそんな者が私で、本当に浄土往生や成…
煩悩具足の凡夫である私が、ただ今救うという本願に向いた時に出てくるのが自力の心(疑心・疑情)です。 疑心(自力の心)あること無し、となったのが他力の信心です。煩悩は全く変わりません。 ただ今救うという本願、南無阿弥陀仏に向いてますか。自分に…
「信心」は如来の御ちかいをききて疑う心なきなり。 如来の御ちかいを疑いなく聞いた(受け容れた)のが信心です。 疑う心なき、になるのに段階はありません。 信じる(疑い無い)か疑うか、どちらかしかないのでした。 疑う心(本願疑惑心)を阿弥陀仏にと…
阿弥陀仏は色も形もありませんが、人格的に現れてくださることで、はじめて私の認識にのり、救われるということがあります。 その阿弥陀仏の願い(本願)とは、どういうはたらきなのかをよく知らせてもらう(聞かせてもらう)ことが大事なのでした。
我が事として受け止めよう、ですね。私が救われるかどうか、救われますよというお話です。 私が救われる教えであるから、その通りに救われるということが私の身の上にあるのだと。しかも今この時に。 えっ?となりました。 これが本当の聞き始めだったかと思…