念仏者 とんのつぶやき

お慈悲に包まれた日常と、浄土真宗の救いを綴ります^_^

回想

行信不離ということ その4(信のこもった念仏)

『法然上人も親鸞聖人も、念仏一つを勧められました。親鸞聖人は念仏でも「信のこもった念仏」を勧められました。』 もうお一人の先生が浄土宗の方に、僅かな時間でしたが、このように話されるのを側で聞いていました。 何と端的な表現か。しかし、当たり前…

御袖すがりに想う

15年ほど前のことです。 母が住む◯◯県へ先生と2人で訪れて、母と私と先生での聴聞のご縁がありました。母から質問が出ました。 五帖目第十二通、御袖すがり なにのやうもなく、ひとすぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまゐらするおもひをなして、 …

行信不離ということ その1(領解)

信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをきき…

ハッキリするという表現について 

浄土真宗の他力の信心を語る時に、ハッキリするという表現はあまり好ましくないというか、しっくりこないと感じています。 以前にも書きましたが、救われる瞬間がどうこうより、今救われているかどうかが大事だからです。今の連続が今日であり明日であり生活…

先延ばし

ただ今助けるという本願がはたらき続けています。それによってただ今救われるという事があります。 面倒な事ほど先延ばしにしたい私にとっては、しんどく感じられた時期もありました。 ただ今、と言われるので、こちらもただ今の問題として聞かせてもらった…

貴重な日々

救われて14年ほど経ちますが、聞けるタイミングというのがあったように思います。 後生助かりたいという気持ちが無いことには始まりませんが、これまでの聞き誤りを正されて認め、ただ今助けるという本願に真向かいしました。 大袈裟かもしれませんが、そ…

とんだ話

全人類は悪人であり、死後は地獄に堕ちる。 今思えばゾッとするような話を繰り返し聞かされ信じていました。するとどうなったか? 自己肯定感が下がる、どこか投げやりになる、死に対して過剰な恐怖感に襲われる、他人の良い言動を素直に見れない。 暗くネガ…

気付いてよかった

間違った浄土真宗の話は、聞けば聞く程に訳の分からない信心が出来上がっていました。今思えば、異安心にもならない代物だったと思います。 こんなに聞いた、こんなに時間かけた、こんなにお金かけた…、案外あっさり捨てました。 間違いと気付いたら、受け入…

仏さまの願いと私の願い

阿弥陀仏の願いは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生まれて死んでを際限なく繰り返して(輪廻して)いる全ての人を、出て離れさせ、浄土というさとりの世界に生まれて仏に成らせるというものです。 本当にそんな者が私で、本当に浄土往生や成…

自力探し

煩悩具足の凡夫である私が、ただ今救うという本願に向いた時に出てくるのが自力の心(疑心・疑情)です。 疑心(自力の心)あること無し、となったのが他力の信心です。煩悩は全く変わりません。 ただ今救うという本願、南無阿弥陀仏に向いてますか。自分に…

信じるか疑うか

「信心」は如来の御ちかいをききて疑う心なきなり。 如来の御ちかいを疑いなく聞いた(受け容れた)のが信心です。 疑う心なき、になるのに段階はありません。 信じる(疑い無い)か疑うか、どちらかしかないのでした。 疑う心(本願疑惑心)を阿弥陀仏に取…

阿弥陀仏について

阿弥陀仏は色も形もありませんが、人格的に現れてくださることで、はじめて私の認識にのり、救われるということがあります。 その阿弥陀仏の願い(本願)とは、どういうはたらきなのかをよく知らせてもらう(聞かせてもらう)ことが大事なのでした。

本当の聞き始め

我が事として受け止めよう、ですね。私が救われるかどうか、救われますよというお話です。 私が救われる教えであるから、その通りに救われるということが私の身の上にあるのだと。しかも今この時に。 えっ?となりました。 これが本当の聞き始めだったかと思…