念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

回想

^_^ぼっち信心の沙汰 知識の恩

〜 2010-04-21知識(先生)の恩 以前、阿弥陀仏に向かったつもりが実は向かっていないことがありました。ちょうど先生は私の後ろに立って、向きを阿弥陀仏に向けて下さる感じでした。阿弥陀仏と私の間に立つのでなく、後ろです。 〜 久しぶりに過去3年間余り…

先延ばし

ただ今助けるという本願がはたらき続けています。それによってただ今救われるという事があります。 面倒な事ほど先延ばしにしたい私にとっては、しんどく感じられた時期もありました。 ただ今、と言われるので、こちらもただ今の問題として聞かせてもらった…

貴重な日々

救われて14年ほど経ちますが、聞けるタイミングというのがあったように思います。 後生助かりたいという気持ちが無いことには始まりませんが、これまでの聞き誤りを正されて認め、ただ今助けるという本願に真向かいしました。 大袈裟かもしれませんが、そ…

とんだ話

全人類は悪人であり、死後は地獄に堕ちる。 今思えばゾッとするような話を繰り返し聞かされ信じていました。するとどうなったか? 自己肯定感が下がる、どこか投げやりになる、死に対して過剰な恐怖感に襲われる、他人の良い言動を素直に見れない。 暗くネガ…

気付いてよかった

間違った浄土真宗の話は、聞けば聞く程に訳の分からない信心が出来上がっていました。今思えば、異安心にもならない代物だったと思います。 こんなに聞いた、こんなに時間かけた、こんなにお金かけた…、案外あっさり捨てました。 間違いと気付いたら、受け入…

仏さまの願いと私の願い

阿弥陀仏の願いは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生まれて死んでを際限なく繰り返して(輪廻して)いる全ての人を、出て離れさせ、浄土というさとりの世界に生まれて仏に成らせるというものです。 本当にそんな者が私で、本当に浄土往生や成…

自力探し

煩悩具足の凡夫である私が、ただ今救うという本願に向いた時に出てくるのが自力の心(疑心・疑情)です。 疑心(自力の心)あること無し、となったのが他力の信心です。煩悩は全く変わりません。 ただ今救うという本願、南無阿弥陀仏に向いてますか。自分に…

信じるか疑うか

「信心」は如来の御ちかいをききて疑う心なきなり。 如来の御ちかいを疑いなく聞いた(受け容れた)のが信心です。 疑う心なき、になるのに段階はありません。 信じる(疑い無い)か疑うか、どちらかしかないのでした。 疑う心(本願疑惑心)を阿弥陀仏にと…

阿弥陀仏について

阿弥陀仏は色も形もありませんが、人格的に現れてくださることで、はじめて私の認識にのり、救われるということがあります。 その阿弥陀仏の願い(本願)とは、どういうはたらきなのかをよく知らせてもらう(聞かせてもらう)ことが大事なのでした。

本当の聞き始め

我が事として受け止めよう、ですね。私が救われるかどうか、救われますよというお話です。 私が救われる教えであるから、その通りに救われるということが私の身の上にあるのだと。しかも今この時に。 えっ?となりました。 これが本当の聞き始めだったかと思…