念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

回想

ハッキリするという表現について 最終

浄土真宗の他力の信心を語る時に、ハッキリするという表現はあまり好ましくないというか、しっくりこないと感じています。 以前にも書きましたが、救われる瞬間がどうこうより、今救われているかどうかが大事だからです。今の連続が今日であり明日であり生活…

ハッキリするという表現について その3

「救われたらハッキリ知らされます。ハッキリするんです。」 「往生一定、信心決定、、、絶対の幸福^_^」 毎回のように連呼して、それ以上の説明をしない布教師がいます。 具体的に何がハッキリしたのですか、と直接示談したかったです。 きっと自分の言葉で…

ハッキリするという表現について その2

「救われたらハッキリします。そこまで求めなさい。」 このように聞いてきましたが間違いです。ただ今救うという本願からずれています。救いというゴールを勝手に先(未来)に設定していることになり、本願ではありません。 こう言うと奇妙な反論があります…

ハッキリするという表現について

「阿弥陀仏に救われたら、その瞬間がハッキリする」。このように絶えず聞いてきました。今でも、「火に触ったより明らかに知らされるのだ」と看板講師は公式動画で主張しています。 その語り口や内容から、かつて想起した瞬間とは。 稲妻に打たれるような衝…

浄土真宗に帰すれども

昔話です。 間違った浄土真宗の団体の話しを長年聞いて、強烈な選民意識や偏った教義理解をしていました。しかしながら、教祖の話しぶりやカリスマ性、団体のスタイルに酔いしれていた自分があったのも事実です。 ですので100%の責任が教祖や団体にあったと…

先延ばし

ただ今助けるという本願がはたらき続けています。それによってただ今救われるという事があります。 面倒な事ほど先延ばしにしたい私にとっては、しんどく感じられた時期もありました。 ただ今、と言われるので、こちらもただ今の問題として聞かせてもらった…

貴重な日々

救われて14年ほど経ちますが、聞けるタイミングというのがあったように思います。 後生助かりたいという気持ちが無いことには始まりませんが、これまでの聞き誤りを正されて認め、ただ今助けるという本願に真向かいしました。 大袈裟かもしれませんが、そ…

とんだ話

全人類は悪人であり、死後は地獄に堕ちる。 今思えばゾッとするような話を繰り返し聞かされ信じていました。するとどうなったか? 自己肯定感が下がる、どこか投げやりになる、死に対して過剰な恐怖感に襲われる、他人の良い言動を素直に見れない。 暗くネガ…

気付いてよかった

間違った浄土真宗の話は、聞けば聞く程に訳の分からない信心が出来上がっていました。今思えば、異安心にもならない代物だったと思います。 こんなに聞いた、こんなに時間かけた、こんなにお金かけた…、案外あっさり捨てました。 間違いと気付いたら、受け入…

仏さまの願いと私の願い

阿弥陀仏の願いは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生まれて死んでを際限なく繰り返して(輪廻して)いる全ての人を、出て離れさせ、浄土というさとりの世界に生まれて仏に成らせるというものです。 本当にそんな者が私で、本当に浄土往生や成…

自力探し

煩悩具足の凡夫である私が、ただ今救うという本願に向いた時に出てくるのが自力の心(疑心・疑情)です。 疑心(自力の心)あること無し、となったのが他力の信心です。煩悩は全く変わりません。 ただ今救うという本願、南無阿弥陀仏に向いてますか。自分に…

信じるか疑うか

「信心」は如来の御ちかいをききて疑う心なきなり。 如来の御ちかいを疑いなく聞いた(受け容れた)のが信心です。 疑う心なき、になるのに段階はありません。 信じる(疑い無い)か疑うか、どちらかしかないのでした。 疑う心(本願疑惑心)を阿弥陀仏にと…

阿弥陀仏について

阿弥陀仏は色も形もありませんが、人格的に現れてくださることで、はじめて私の認識にのり、救われるということがあります。 その阿弥陀仏の願い(本願)とは、どういうはたらきなのかをよく知らせてもらう(聞かせてもらう)ことが大事なのでした。

本当の聞き始め

我が事として受け止めよう、ですね。私が救われるかどうか、救われますよというお話です。 私が救われる教えであるから、その通りに救われるということが私の身の上にあるのだと。しかも今この時に。 えっ?となりました。 これが本当の聞き始めだったかと思…