念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

他力の信心

馴染む

善き師に恵まれて、その都度不審を述べてきました。信前は勿論ですが信後の不審こそ放っておかないのが良いと思います。 不審を尋ねることで、聞き誤りや理解不足を知らされると同時に、自身の信心と照らし合わせることになるからです。 それと私の場合、適…

私の心に用事はない 自問自答

【例文】 阿弥陀仏の完成した救いに遇っているから、 南無阿弥陀仏が私の世界に届いているから、 私の心に用事はない。一人も漏れず仏に成れる。 親鸞聖人は教行信証に、 ①『「聞」というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞という…

^_^ぼっち信心の沙汰 スタートライン

2010-01-23スタートライン 一日も片時もいそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定して、そののち人間のありさまにまかせて、世を過すべきこと肝要なりとみなみなこころうべし。(御文章4帖目13通) 急ぐべきは信心決定。スタートラインを通過させられ…

愚者になりて

他力の信心は一味平等と言われます。 身内がそうなので何の違和感もなく過ごして来ました。教義理解はまちまちですが、不思議とポイントとなるところはしっくりくるのです。 今年になって浄土真宗の現況を耳にする機会が増えました。 十劫安心、知識帰命、疑…

大違い

「されば南無阿弥陀仏ともうす体は、われらの往生の定まりたる証拠」 「御文章」四帖目八通 そう聞いて疑い無いのが他力の信心です。 ただ聞いて安心するのは十劫安心です。 大違いです。心の内をさらけ出して沙汰するよう述べておられます。 この御文が一番…

他力信心の不思議

他力の信心を頂くことは、ただ今助けるという南無阿弥陀仏のおはたらきを疑い無く聞き入れること、とてもシンプル、極めて簡単なことです。 そのおはたらきには絶え間が無いので、いつでもどこでも助かります。 言葉を換えれば、ただ今助けるおはたらきに気…

領解文(改悔文)

りょうげもん(がいげもん)と読みます。蓮如上人の時代から始まったもので、浄土真宗の正しい領解(信心)を口に出してあらわしたものです。 自身の領解(信心)を告白し、間違いがあれば正してもらう良いご縁となります。領解文は、その人の信心が正しいか間違…

真の平等

南無阿弥陀仏の救いの対象から外れる人はありません。区別無く働きかけられています。 自身の業に如何に苦しんでいる人であっても、こんな私が救われるはずがない、と卑下する必要はありません。 ただ今救うのお働きに、おまかせしたのが信心です。罪悪が深…

一度きり

この世で阿弥陀仏の本願の救いは一度きりです。そして救われたならば、捨てられることは二度とありません。たとえ救われたことを忘れてしまっても問題なしです。 要は救われるか否かです。今救うと働きかけている南無阿弥陀仏に、おまかせするのみです。まか…

思考を超えた世界

サラサラと流れるように世の博識を展開する論客、ついつい引き込まれてしまいます。 あくまでも私の主観ですが、そんな人ほど、他力の信心、あて頼りとするような領域には目が向きにくいように感じます。 しかしそのような人でも、平等に、いのちをまるごと…

因果応報と他力の信心

因果応報。 努力があって相応の結果が得られる。真理ですが、その理屈を南無阿弥陀仏の救いに当てはめるのは間違いです。 南無阿弥陀仏、他力の信心は、何の計らいもなく聞き入れる信心です。 例えば、用意されたお宝を、心からどうぞ受け取って下さい、と差…

塞翁が馬

今になってこうしておけば良かった、ああしておけば良かったと思うことが度々あります。未来が分かる超能力があるのならばともかく、その時は目一杯考えて行動している訳ですから仕方がありません。まずは目の前の現実を受け止めることだと思います。 しかし…

悪人正機

悪人正機について、「要は自分は悪人であると自覚しろってことだな」という言い回しを読みました。 違和感があります。 自分は悪人であると自覚したこと、それ自体は救いと関係ありません。また、悪人だと深く省みることも救いと関係ありません。 救いとは他…