つぶやき
頂きものに対してやお世話になった人へのお礼は、失礼の無いようにと気を使います。未だにではありますが、若い頃は常識にも疎く何度も痛いことをしてきました。 念仏を称えることが、私の生死問題を解決して下さった御恩返しになるのです。とても明快で容易…
人生という名の旅はいつかは終わりを迎えます。いつ旅を終えてもいいように、今のうちに準備を済ませておくと安心です。 煩悩や執着は、暇がなく臨終の一念まで消えない・絶えないと教えられます。キリがないということ。それならまあ残りの人生、そこそこで…
期待しかない。 楽しみしかない。 最近は、しかない、の前に否定的ではなくポジティブな名詞を置いた言い回しが増えたように感じます。「名詞」+「で」の場合も。いずれも、明るい未来に対する今の気持ちを表しています。 これしかない。 するしかない。 元…
考えが凝り固まっているのだから、もうそれでいいじゃないか•••。 真宗を聞き誤ったままの仲間達を想うと、諦めにも似た感情が込み上げてきます。 そんな人にもはたらき続けている南無阿弥陀仏を念じるばかりです。
サラサラと流れるように世の博識を展開する論客、ついつい引き込まれてしまいます。 案外そんな人ほど、他力の信心、認識に乗らぬ領域には目が向きにくいように感じます。 私のいのちをまるごと救い摂って下さる南無阿弥陀仏、仰ぐばかりです。 『摂取して捨…
老いや病で、これまで出来ていたことが出来なくなった自分を受け入れて生きる。 そうだよなあ、と共感する反面、どれだけ賢明な心持ちで生きようとも、遅かれ早かれ死んでいくという壁にぶち当たります。どうしましょう? 「まず信心を決定して」 それからで…
生まれるところ、とき、によってその後の境遇は大きく変わります。また、親ガチャという言葉は今の日本の若者の思いを表しているかのようです。 これらは、自分ではどうしようもないという点で共通しています。 未来を決めるのは自分次第、とは言えど、いの…
一人で生まれてきて一人で死んで行くんやな。 ある一人暮らしの病に臥す老人が寂しそうに呟きました。 生老病死が詰まっています。
暴風雪に備えてガソリンの給油や水道管の保護、食料品の買い出しを済ませて不急の予定は変更。これで一安心。 先を考えて行動する知恵は人ならではですが、肝心の後生の備えは南無阿弥陀仏におまかせするしかありません。
「今を生きる。今を生きろ!」、心を打つフレーズだと言われます。未来のことを案じ過ぎても何も始まらないし、過去にとらわれ過ぎても過去は変えようがないからです。 しかし積み重ねた知識や経験があって今があるのであり、先を見据えて生きているのだとす…
はや2023年を迎えています。 デジタル化が進み何をするにも便利な時代になっていますが、楽あり苦ありの人生の本質は変わっていないように思います。 南無阿弥陀仏に生かされていることに感謝して、少しでも報いられるような日々を送っていきたいと思い…
散歩道の脇の雑草が勢いよく伸びています。刈らねばならない人間の立場から見れば厄介ですが、夕陽に映えていのちの力強さを感じとることができます。 運動不足解消のためのささやかな時間ですが、夏にかけて少しずつ距離を伸ばしていきたいと思いました。
「死んだら極楽、死んだら仏」(①) 「この世はどうにもならんもんや、死んだらお助けなんだ」と言う人のことを、独特の節回しで揶揄する布教使の話を聞いたことがあります(つくづくこの世はどうにもならんもんやなあ、と思うこの頃ですが)。確かに、生きて…
生後、デビュー、結成、没後、復帰〇〇年、など節目の年ということがあります。先月、今月は個人的にそういった関心事が多くありました。その中で確実に年を重ねている自分がいるわけです。 世の中いろいろなことがおきますが平凡でも前向きに歩んでいきたい…
仕事にはキリがないので、どこかで踏ん切りを付けるしかありません。一日のうちで一番ながく時間をかけているので強くそう思うのかもしれませんが、何事でもきっとそうなのでしょう。どこかでけじめをつけるべきものなのでしょう。 そこで限られた命で何をす…
先日、傘をある店に置き忘れたことをその日の晩に気付きました。店を出る時には雨が降っていなかったのと次の用事を考えていたからでした(次の日に傘を取りにいきました、一件落着)。 気を付けないとな、と思いましたがこれまでも何度かやってます。誰でも…
以前は、 「どの人も本質は同じで次の世は悪い世界に生まれる」 ということを繰り返し聞かされ信じていました。こうなると、自己肯定感が下がる、どこか投げやりになる、死に対して過剰な恐怖感に襲われる、他人の良い言動を素直に見れない、など土台からネ…
年をとるほど月日がたつのを早く感じる、というのはこれまでを振り返るとその通りと感じます。気が付けば臨終、と言うのは大袈裟でしょうか。 そんな中、念仏者とならせて頂けたことは不思議なことです。 間違いないことは、時間は誰にでも平等に与えられて…
腰痛とは長い付き合いですがいつ不調に陥るのか予想できません。 調子がよい時は腰痛の辛さを忘れてしまうくらいなのですが、いきなり襲ってくることもあって気が抜けません。日頃からなるべく軽く済むように対策はしています。 それでも腰の調子が下り坂に…
年度末は1つの区切りです。職場の掲示物の差し替えをするにあたって少しばかりですが身の引き締まる思いでした。 朝から夜までの生活パターンは変わりませんが、あっという間に過ぎたように感じる今年の3か月を振り返り、より多く念仏を称えられるような日…
今になってこうしておけば良かった、ああしておけば良かったと思うことが度々あります。未来が分かる超能力があるのならばともかく、その時は目一杯考えて行動している訳ですから仕方がありません。まずは目の前の現実を受け止めることだと思います。 しかし…
救われているということが当たり前になっています。バタバタしていると有難いことを有難いことだと完全に忘れてしまっています。そんなときでも常に信心を護ってくださっているのが阿弥陀さまです。 拝まないときも 拝んで下さっている 阿弥陀さま(今月のカ…
後生の準備と言っても、私の方で用意するものは一つもありません。例えばすでに大きな船に乗っていて、その船はいつ私の寿命が尽きても浄土に行き着くようになっているようなものです。 後生を考えようが考えまいが、考えることが出来なくなったとしてもそれ…
今年に入ってからもすでに、あの人が亡くなっていたのか、と知って驚くことがありました。年が明けても何ら変わらない現実を知らされます。何気ない当時の会話が最後だったのかと複雑な気持ちになります。後生間に合ったのかと。 浄土真宗、阿弥陀仏の本願の…
昨年もいろいろなことがありましたが、新年を迎えるたびに同じような思いであったのではないかと思います。気付けば確実に一つ年をとっている。 自身にいろいろなことが起きて当然、その中どう過ごしていくのか、勉強だと思います。 南無阿弥陀仏、忘れがち…
嫌なことがおきても決してそれは他人のせいではないですよ、というのが因果応報・自因自果ということでしょう。ただ嫌なことと思っていたことが、時間が経つといい経験だったと反転することもあります。ややこしやです。 それでもどうにも腑に落ちない時は仏…
「人生が目的」 なるほど!と思いました。南無阿弥陀仏のはたらきに遇うことができるのは生きている今、人生。であれば各人の人生そのものが目的となる。貴重な時ですね。 「人生の目的」 このフレーズをこれまでいろんなところで耳にして、言葉そのものの捉…
もっと早くにこの分野のことを知っていたらなあ、と思うことがあります。教えてくれる人や機会がなかったものかと。 けれどよく考えてみると、そういう機会は少なからずあったのではないかと。情報を耳にしながらも、その時の自分には関心が起きなかった、心…
自分の範疇でないことには関与しない、まかせる。そして自分の役割に力を注ぐ。 こういうのもさっぱりしていていいなと思います。 南無阿弥陀仏はすべての人にはたらきかけられていて範疇というような線引きはないと言えます。 不思議でありがたいことです。
普通、生きること以上に、死ぬことの意味・意義はなかなか見出しにくいと思います。崇高な思考の力でもって見出したとしても、死ねばその力も失うものだからです。 救われた人が亡くなることを、浄土真宗では「死ぬ」とは言わずに「往生する」と言います。「…