念仏者 とんのつぶやき

-往生浄土の身となり、いろいろな思いを残しておきます-

つぶやき

何もない

新年を迎えました。 いつでもどこでも、 ただ救うという本願に疑いないのが信心です。それ以外に信心と言っても何もありません。 疑いという蓋があるとすれば、その蓋が取り除かれたようなものです。 中身は何にも変わりません。もし中が空っぽであれば空っ…

とん、2019年を思いのままに振り返る

今年も残すところ2日となりました。 南無阿弥陀仏のはたらきに疑いなく、今生きているということ自体ありがたいことです。 今年もいろいろなことがありましたがざっくり振り返ってみると、9月からブログを始めたことがよかったです。お盆の時に、何となく書…

かけひきは不要

よくあるパターン 中止することはない。全く考えていない。 →現時点で考えていない。 →再考。 →中止。 やっぱりね…(-_-;) ある時点から中止を決めていたのでしょうに…。 いきなり中止の発表では批判がきついからでしょうが、もう少しストレートに言って欲し…

当たり前ではない

年に一回の検診が終わった。 念仏称える身となっても病気に対する不安は全く変わらない。 その後検診センターで提供される食事中、当たり前のように衣食住しているが、毎日多くの命を頂きながら生きているのだとふと思った。 愚鈍ではあるが、生かされている…

『人生に意味があるのか、という問い』(自問自答)

今日の朝刊で、今回のタイトル『』について、別の角度からある人の言葉がとりあげられていました。 私も好き勝手に、真正面から書いてみます。 「人生に意味があるのか」 「南無阿弥陀仏のはたらきに救われてこそ意味が出てくる」 まず救われること。 私が救…

死ぬことについてどう思いますか

・考えてもあまり意味がない ・考えても暗くなるだけ ・こわい ・嫌なこと ・考えてどうにかなることではない ・死んで戻ってきた人は一人もいない ・わからないものはわからない ・それよりも(だからこそ)今生きることが大事 ・限られた命と知り、精一杯…

有難いこと

生き方、自己啓発、思考についての本でいろいろ学ぶことがありますが、著者が勧めてはいても、これが正解と言い切れる書き方はほとんどしてありません。学説や統計は説得力はあると思いますが。 つまるところ、一人一人がよりベターと思える選択をしながら生…

本当の終活

就活ならぬ終活という言葉がすでに定着した感があります。自分が死んだ後に自分のことで迷惑をかけたくない、残された人に幸せになってもらいたい、いろいろな思いがあってのことだと思います。 私も今死ぬとなると残される家族のことを真っ先に考えます。大…

摂取不捨(せっしゅふしゃ)

どんなサービスでもまかせることは基本的に楽ですが相応の対価を求められます。それでも稀にトラブルや事故があったりします。 そのための契約、覚書、保険、保証、…いろいろな手続きをしたり要求されたりします。やはりお互い心配があるからですよね。 当然…

人間って、難しいですね…

救われたからといって、浄土真宗の知識や学問は何ら変わりません。本願に対する疑いの心が無くなっただけです(このだけ、が実に有難いことではありますが)。 勉強したり経験を積んだりしないと何も身につかないのはどの分野でも同じかと思います。 端的に…

自分の間違い、人の間違い

大概のことは、自分に非があった、間違いがあったと気付いたら素直に認めてしまうのが楽かと思いますし、事が良い方向にすすみやすいと感じます。 逆に、相手の間違いを指摘するのも気を使います。言う前に気付いてくれないかな、と思ったりもします。そして…

遠慮は要らないですよ

頂きものは当然うれしいですが、遠慮もあったりします。どういったことで持ってこられたのだろうか、お返しは要るだろうか、次にお会いした時にはどう礼を言おうか、などなど。 仕事上であればなおさらです。上司に報告して相談することも…。 どうしても考え…

一対一の本願(将棋編)その3

普通プロの対局では最後の1手まで進むことはなく、 この先の詰み(負け)が分かると投了します。 「負けました」と。 将棋でたとえれば、よくよく盤面を見てみるとすでに詰んでいることに気付いたようなものです。 「負けてました」と。 蓮如上人は、 「思…

一対一の本願(将棋編)その2

対局の前に振り駒をして先手か後手かを決めます。歩を3枚か5枚、盤上に投げて表(歩兵)が多いほうが先手となります。 将棋でたとえれば、阿弥陀仏は必ず先手番となります。誰と対局しても振り駒の結果はそうなります。 毎週日曜日のNHK杯風で言えば、「振…

一対一の本願(将棋編)

将棋は一対一の勝負です。基本的には相手がいないと成立しません。 将棋でたとえれば、阿弥陀仏はすでに対局室に入り席についておられます。 まず席につくことです。他の誰かではなく私がです。 そして気が付いたら生きているというような私を、ずっと前から…

現場に来ておられますよ

「何も知らずにそんなこと言って。現場を見てから言ってくださいよ、わかってないでしょ。」 と最前線で働く社員が本部に対して言うとすれば、現場と本部に溝というか距離感があるというか、まあそれはうまくいっていない会社でしょう(私が言ったりします……

懺悔(さんげ)

南無阿弥陀仏のはたらきを聞くようになったのも、 聞きて疑心あること無し(他力の信心)となったのも、 その信心がまったく崩れず相続しているのも、 すべて南無阿弥陀仏のはたらきです。 どうしても異安心を耳にすると沸き立つ思いにかられることがありま…

宿善について

10月7日、「私の前に道はない」のタイトルでも書きました。 ~~ 道があったとすれば、救われて振り返る程度のもの。親鸞聖人の三願転入の文もそうですよ。 南無阿弥陀仏においては道など元より無いですからね。 ~~ と。 ついでに言えば、「宿善」につ…

私の願い、仏さまの願い

阿弥陀仏の願いは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生まれて死んでを際限なく繰り返して(輪廻して)いる全ての人を、出て離れさせ、浄土というさとりの世界に生まれて仏に成らせるというものです。 本当にそんな者が私で、本当に浄土往生や成…

何も求められていない その2

忖度という言葉が政治問題で脚光?を浴びました。 職場の会合でも、忖度しとるんやで!、など普通に耳にします。 露骨に下心ありありです。 それで忖度される側が喜ぶのならまだいいですが、ただの余計なお世話、だったら悲しいですね。 阿弥陀仏は、何も要…

何も求められていない

阿弥陀仏の本願に救われるのは、私が何かを足したり補ったりしした結果ではありません。そもそも始めから何も求められていません。まったく手出し無用です。そういう本願だからです。だから今救われるということがあります。時間はかかりません。ただ今救う…

私の前に道はない その3

薬の順番待ちでのこと。 キッズコーナーで絵本を見ていた子供。順番が来て母親が呼ばれる。まだ遊んでいたいと逃げる我が子を抱っこ 。そして抱いたまま薬を受け取り帰宅の途に。 力強いですね。 いろいろな理由をつけて逃げようとする者であっても、追いか…

私の前に道はない その2

親鸞聖人は教行信証の冒頭(総序)に 「 たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」 と述べておられます。 思いがけず救われたならば、遠く過去からの因縁を喜びなさい、と。 思いがけず救われるのであって、たとえれば、いつの間にかひょいと救いとられたよう…

私の前に道はない

ああして、こうして、こうなったら救われるだろう。 そんな道(ストーリー)はありません。あったほうが分かりやすいですか。ピタッときますからね。けれどもそれは私の分別。 道があったとすれば、救われて振り返る程度のもの。親鸞聖人の三願転入の文もそ…

すべてお任せください

windows のアップデート作業が、思ったより時間がかかっていました。 途中経過の表示がその都度画面に出ていました。 案じていたら、「すべてお任せください」の表示が。 思わずニヤッとしてしまいました。 人に言われるよりはまだ信頼できるかな。 仏さまの…

完成引き渡し

家があっても眺めているだけでは喜べません。入ってなんぼです。 目の前に立派な家があるんですけどね。 まず入りましょう。構造や性能などは関心があれば調べればいいんじゃないですか。それは後からでも。 ずっと前から完成引き渡しの状態です。入らないと…

自力探し

煩悩具足の凡夫である私が、ただ今救うという本願に向いた時に出てくるのが自力の心(疑心・疑情)です。 疑心(自力の心)あること無し、となったのが他力の信心です。煩悩は全く変わりません。 ただ今救うという本願、南無阿弥陀仏に向いてますか。自分に…

早く来なさい

なむあみだぶつ、早く来なさい、とずっと呼んでいます。 このまま死んだら後生大変だからです。 こちらから、来てよと呼ぶのでない、じっと待っているのでもない。 呼ばれているのだから行くだけです。すぐに。 よくよくなむあみだぶつのはたらきを聞いてく…

まさか…、ですね。

どちらが正しいでしょうか? A:南無阿弥陀仏は、この今救ってくださります。そういうはたらきです。 B:南無阿弥陀仏とはいえど、雑毒の善しかできない者であるとはっきり知らせてからでないと救えません。できるという自惚れ心をぶっ壊さないとだめなんで…

どこから始めます?

①仏教以外の宗教 ②無宗教 ③仏教 ④浄土教 ⑤自力 ⑥他力 明日死ぬとしたらどこから始めます?