念仏者 とんのつぶやき

お慈悲に包まれた日常と、浄土真宗の救いを綴ります^_^

本願が成就している

行信不離ということ その6(最終)

親鸞聖人における行信不離 しかれば真実の行信を獲れば、心に歓喜多きがゆゑに、これを歓喜地と名づく。(中略)いかにいはんや十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力といふ。 「行文類」…

本願成就文と念仏

以下、先生の法話の1部抜粋です。前後のお話の流れもあるので、全くそのままではありません。その上で。 質問: 『本願成就文には念仏称えておくれ(称えよ)とは、仰って(書いて)おられない。』と言う方がありますが、どう思われますか? 回答: 聞其名…

本願成就で救われるという表現について その3

本願成就文の「聞」と「信心」の関係について親鸞聖人は、 「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。信心といふは、すなはち本願力回向の信心なり。 (教行信証信巻) 仏願の生起本末を聞きて「疑心あることなし…

本願成就で救われるという表現について その2

本願は成就しています。本願には衆生を救う力(はたらき)があります。 私は何で(によって)救われたのかと言うと、 ・本願力で救われました。 ・本願の救いのはたらきで救われました。 どのように救われたのかと言うと、 ・本願力におまかせして救われまし…

本願成就で救われるという表現について その1

他力の信心、自力の信心、以外にもう1つ。 「(浄土真宗は)本願成就で救われる(教え)」というフレーズをよく耳にしました。 本願成就や名号のはたらきは「事実」であって、それがそのまま「信じたこと」「信心」にはなりません。そうであるので、救われ…