とんの嘆き
本願成就文の「聞」と「信心」の関係について親鸞聖人は、 「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。信心といふは、すなはち本願力回向の信心なり。 (教行信証信巻) 仏願の生起本末を聞きて「疑心あることなし…
本願は成就しています。本願には衆生を救う力(はたらき)があります。 私は何で(によって)救われたのかと言うと、 ・本願力で救われました。 ・本願の救いのはたらきで救われました。 どのように救われたのかと言うと、 ・本願力におまかせして救われまし…
他力の信心、自力の信心、以外にもう1つ。 「(浄土真宗は)本願成就で救われる(教え)」というフレーズをよく耳にしました。 本願成就や名号のはたらきは「事実」であって、それがそのまま「信じたこと」「信心」にはなりません。そうであるので、救われ…
浄土真宗の他力の信心を語る時に、ハッキリするという表現はあまり好ましくないというか、しっくりこないと感じています。 以前にも書きましたが、救われる瞬間がどうこうより、今救われているかどうかが大事だからです。今の連続が今日であり明日であり生活…
「救われたらハッキリ知らされます。ハッキリするんです。」 「往生一定、信心決定、、、絶対の幸福^_^」 毎回のように連呼して、それ以上の説明をしない布教師がいます。 具体的に何がハッキリしたのですか、と直接示談したかったです。 きっと自分の言葉で…
「救われたらハッキリします。そこまで求めなさい。」 このように聞いてきましたが間違いです。ただ今救うという本願からずれています。救いというゴールを勝手に先(未来)に設定していることになり、本願ではありません。 こう言うと奇妙な反論があります…
「阿弥陀仏に救われたら、その瞬間がハッキリする」。このように絶えず聞いてきました。今でも、「火に触ったより明らかに知らされるのだ」と看板講師は公式動画で主張しています。 その語り口や内容から、かつて想起した瞬間とは。 稲妻に打たれるような衝…
こんな動画配信を視聴しました。以下に1部だけ取り上げてみます 〰️ 18願だけでいいとかね。 よっぽど自惚れないとそれは言えない。 18願すぐに聞ける自分だと思いますか。 18願を素直に信じられるような人がどこにいますか。 十方衆生1人もいない。…