第十八願文
乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆
誹謗正法
【書き下し分】
たとひわれ仏(ぶつ)を得たらんに、十方(じっぽう)の衆生、至心信楽(ししんしんぎょう)してわが国に生ぜんと欲(おも)ひて、乃至十念(ないしじゅうねん)せん。もし生ぜずば、正覚(しょうがく)を取らじ。ただ五逆(ごぎゃく)と誹謗正法(ひほうしょうぼう)とをば除く。
(『註釈版聖典』一八頁)
私が仏になるとき、すべて人々が、私の救いが真実であると疑いなく受け容れ、私の国(浄土)に生まれると思って、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、私はさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。
☆とんのつぶやき☆
私(阿弥陀仏)の救いが真実であると疑いなく受け容れたのが信心(信楽・救い)です。
ひらたく言うと、「どうか私(阿弥陀仏)にまかせておくれ、必ず救う」のよび声に 「ではおまかせします」とまかせきったのが信心です。
極めてシンプルなことだと思います。