念仏者 とんのつぶやき

往生浄土の身となり、日々のちょっとした思いを気の向くままに残しておきます

つぶやき

遠慮は不要

頂きものは当然うれしいですが、遠慮もあったりします。どういったことで持ってこられたのだろうか、お返しは要るだろうか、次にお会いした時にはどう礼を言おうか、などなど。 仕事上であればなおさらです。上司に報告して相談することもあります。どうして…

一対一の本願(将棋編)その3

普通プロの対局では最後の1手まで進むことはなく、 この先の詰み(負け)が分かると投了します。 「負けました」 将棋でたとえれば、よくよく盤面を見てみるとすでに詰んでいることに気付いたようなものです。 「負けてました」 蓮如上人は、 「思案の頂上…

一対一の本願(将棋編)その2

対局の前に振り駒をして先手か後手かを決めます。歩を3枚か5枚、盤上に投げて表(歩兵)が多いほうが先手となります。 将棋でたとえれば、阿弥陀仏は必ず先手番となります。誰と対局しても振り駒の結果はそうなります。 毎週日曜日のNHK杯風で言えば、 「振…

一対一の本願(将棋編)

将棋は一対一の勝負です。基本的には相手がいないと成立しません。 将棋でたとえれば、阿弥陀仏はすでに対局室に入り席についておられます。 まず席につくことです。他の誰かではなく私がです。 そして気が付いたら生きているというような私を、ずっと前から…

現場に来ておられます

「何も知らずにそんなこと言って。現場を見てから言ってくださいよ、わかってないでしょ!」 と最前線で働く社員が本部に対して言うとすれば、現場と本部に溝というか距離感があるというか、まあそれはうまくいっていない会社でしょう(私が言ったりします……

懺悔(さんげ)

南無阿弥陀仏のはたらきを聞くようになったのも、聞きて疑心あること無し(他力の信心)となったのも、その信心がまったく崩れず相続しているのも、すべて南無阿弥陀仏のはたらきです。 どうしても異安心を耳にすると沸き立つ思いにかられることがあります。…

宿善について

10月7日、「私の前に道はない」のタイトルでも書きました。 ~~ 道があったとすれば、救われて振り返る程度のもの。親鸞聖人の三願転入の文もそうですよ。 南無阿弥陀仏においては道など元より無いですからね。 ~~ ついでに言えば、「宿善」についても…

仏さまの願いと私の願い

阿弥陀仏の願いは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生まれて死んでを際限なく繰り返して(輪廻して)いる全ての人を、出て離れさせ、浄土というさとりの世界に生まれて仏に成らせるというものです。 本当にそんな者が私で、本当に浄土往生や成…

何も求められていない その2

忖度という言葉が政治問題で脚光?を浴びました。 職場の会合でも、忖度しとるんやで!、など普通に耳にします。 露骨に下心ありありです。 それで忖度される側が喜ぶのならまだいいですが、ただの余計なお世話、だったら悲しいですね。 阿弥陀仏は、何も要…

何も求められていない

阿弥陀仏の本願に救われるのは、私が何かを足したり補ったりしした結果ではありません。そもそも始めから何も求められていません。まったく手出し無用です。そういう本願だからです。だから今救われるということがあります。時間はかかりません。ただ今救う…

私の前に道はない その3

薬の順番待ちでのこと。 キッズコーナーで絵本を見ていた子供。順番が来て母親が呼ばれる。まだ遊んでいたいと逃げる我が子を抱っこ 。そして抱いたまま薬を受け取り帰宅の途に。 力強いですね。 いろいろな理由をつけて逃げようとする者であっても、追いか…

私の前に道はない その2

親鸞聖人は教行信証の冒頭(総序)に 「 たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」 と述べておられます。 思いがけず救われたならば、遠く過去からの因縁を喜びなさい、と。 思いがけず救われるのであって、たとえれば、いつの間にかひょいと救いとられたよう…

私の前に道はない

ああして、こうして、こうなったら救われるだろう。 そんな道(ストーリー)はありません。あったほうが分かりやすいかもしれません。ピタッときます。けれどもそれは私の分別です。 道があったとすれば、救われて振り返る程度のものです。親鸞聖人の三願転…

すべてお任せください

windows のアップデート作業が、思ったより時間がかかっていました。 途中経過の表示がその都度画面に出ていました。 案じていたら、「すべてお任せください」の表示が。 思わずニヤリ。人に言われるより信頼できるかもしれません。 仏さまの言葉には一つの…

完成引き渡し

家があっても眺めているだけでは喜べません。入ってなんぼです。 目の前に立派な家があるんです。 まず入りましょう。構造や性能などは関心があれば調べればいいことです。それは後からどれだけでもできます。 ずっと前から完成引き渡しの状態です。入らない…

自力探し

煩悩具足の凡夫である私が、ただ今救うという本願に向いた時に出てくるのが自力の心(疑心・疑情)です。 疑心(自力の心)あること無し、となったのが他力の信心です。煩悩は全く変わりません。 ただ今救うという本願、南無阿弥陀仏に向いてますか。自分に…

早く来なさい

南無阿弥陀仏、早く来なさい、とずっと呼んでいます。 このまま死んだら後生大変だからです。 こちらから、来てよと呼ぶのでない、じっと待っているのでもない。 呼ばれているのだから行くだけです。すぐに。 よくよく南無阿弥陀仏のはたらきを聞いてくださ…

どちらが正解?

どちらが正しいでしょうか? A:南無阿弥陀仏は、この今救ってくださります。そういうはたらきです。 B:南無阿弥陀仏とはいえど、雑毒の善しかできない者であるとはっきり知らせてからでないと救えません。できるという自惚れ心をぶっ壊さないとだめなんで…

どこから始めます?

①仏教以外の宗教 ②無宗教 ③仏教 ④浄土教 ⑤自力 ⑥他力 もしも明日死ぬとしたらどこから始めますか。阿弥陀仏は、ただ今助けると呼んでおられます。

なぜ生きる、どう生きる

なぜ生きる、どう生きる…。むずかしい問いかと思います。 けれども、今すでに生きているし、すべきこともいろいろあるわけです。 まずは南無阿弥陀仏を疑い無く聞いてから、その後に考えても遅くはないです。

罪や善の有る無し

罪や善の有る・無しが気になる方へ。 南無阿弥陀仏のはたらきを気にしてください。 自分の心を奥深くのぞきこんでも何も出てきません。私の善悪と救いとは何の関係もありません。

こんな異安心あった?(つづき)

地獄や極楽を見ることも知ることもないままで救われるのです。救われて見えるようになるのでもありません。 南無阿弥陀仏のはたらきが疑いなく聞けるようになったのです。

こんな異安心あった?

「本願を信じ念仏申せば仏に成る」 簡単すぎるから間違えやすいのかと思います。 浄土真宗には昔から異安心というものがいろいろあるので気を付けないといけません。 ネット上ではこんなの載ってました。 「地獄一定と極楽一定が同時にはっきり知らされ、相…

今日も働いた

仕事がしんどかったな…、 なむあみだぶつ。 帰りも遅くなったな…、 なむあみだぶつ。 ペラペラと人の欠点言い過ぎたな…、 なむあみだぶつ。 こんな感じで念仏となえることもあります。(実は今日のことですが)。 信心いただいたうえでの念仏は、救っていた…